遊歩道(日本煉瓦製造専用線跡)は、「国道17号線」を歩道橋で越えて行きます。しばらく住宅地ですが、その先には畑地が広がってきます。
振り返って望む。
次第に広がる畑地。
「深谷」といえば、「深谷ネギ」が有名。駅前で食べたラーメンにも深谷ネギがたくさん入っていました。美味です。遊歩道の両側に広がるネギ畑。
しばらく進み、「深谷中央病院」を過ぎると、「福川」にかかる「あかね橋」へ。かつては鉄橋でしたが、現在では新しい橋に架け替えられています。
左手遠くに浅間山(↓)。
橋を越えた右手の公園に、専用線当時の「福川鉄橋」が保存されています。
福川鉄橋 深谷市指定文化財 昭和61年12月22日指定
日本煉瓦製造株式会社専用線の福川に架設された鉄橋で、福川に架けられていたプレート・ガーダー橋と、その北側の水田の中に造られていた5連のボックス・ガーダー橋からなっていました。プレート・ガーダー橋は、全長10.1mで、明治28年(1895)の建設当初の姿をほとんどそのままに伝えており、現存する日本最古のボーナル型プレート・ガーダー橋です。
ボックス・ガーダー橋は、全長22.9mで、洪水のときに福川から溢れた水の逃げ場をあけておくために設けられたものです。当初は木桁でしたが、順治鉄桁に変えていったようです。
ボーナル型プレート・ガーター橋は、イギリス人の鉄道技師、チャールズ・ボーナルの設計による鉄橋です。日本の近代産業革命期の明治28年から34年(1895~1901)に日本各地で建造されました。
福川鉄橋は、日本の近代化を象徴する産業遺構として、極めて高い歴史的価値をもっています。
深谷市 深谷市教育委員会
土台は煉瓦積み。線路も残してあります。
この先も視界が広がって、畑の中を進みます。
子どもの像があるところを過ぎて「国道17号・バイパス」の下をくぐります。
行く手の正面には「赤城山」。
2010年代のようす。
のどかな昼過ぎ、のんびりと歩きます。左手に何やら果樹らしい木が並んでいます。横に伸びた太い幹は布で覆われ、そこから何本かの枝が上に伸びています。今まで見たことがなさそうな、・・・。想像もつきません。
近くで農作業をしている方に思い切ってたずねると、「ああ、あれはイチジクだよ。うちの畑じゃないけれどね。」
「イチジク」なら子どもの頃は庭に植わっているうちもあって、なじみ深いものでした。熟したものを食べたり、イボができると、葉っぱからでる白い汁を掛けると直るとかで塗った記憶もあります。まさかここでお目に掛けるとは思いませんでした。
イチジク
「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。
「映日果」は、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」はこれの音読「エイジツカ」の転訛とする。 ・・・
伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。
日本には江戸時代初期、ペルシャから中国を経て、長崎に伝来した。当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。
果実は生食するほかに乾燥イチジク(ドライフィグ)として多く流通する。
生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。
果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている。
(以上、「Wikipedia」より)
が、見慣れていたのは、こんもりとした感じの、イチジクの木。こういう風に育てるとは知りませんでした。
(HPより)
この図でいくと、2年目以降の剪定の仕方、育て方なのですね。
干して大きく丸めた藁束、収穫間近のネギ畑。満開の梅など春らしい道端の雰囲気を味わいながら進んで行きます。
振り返って望む。
次第に広がる畑地。
「深谷」といえば、「深谷ネギ」が有名。駅前で食べたラーメンにも深谷ネギがたくさん入っていました。美味です。遊歩道の両側に広がるネギ畑。
しばらく進み、「深谷中央病院」を過ぎると、「福川」にかかる「あかね橋」へ。かつては鉄橋でしたが、現在では新しい橋に架け替えられています。
左手遠くに浅間山(↓)。
橋を越えた右手の公園に、専用線当時の「福川鉄橋」が保存されています。
福川鉄橋 深谷市指定文化財 昭和61年12月22日指定
日本煉瓦製造株式会社専用線の福川に架設された鉄橋で、福川に架けられていたプレート・ガーダー橋と、その北側の水田の中に造られていた5連のボックス・ガーダー橋からなっていました。プレート・ガーダー橋は、全長10.1mで、明治28年(1895)の建設当初の姿をほとんどそのままに伝えており、現存する日本最古のボーナル型プレート・ガーダー橋です。
ボックス・ガーダー橋は、全長22.9mで、洪水のときに福川から溢れた水の逃げ場をあけておくために設けられたものです。当初は木桁でしたが、順治鉄桁に変えていったようです。
ボーナル型プレート・ガーター橋は、イギリス人の鉄道技師、チャールズ・ボーナルの設計による鉄橋です。日本の近代産業革命期の明治28年から34年(1895~1901)に日本各地で建造されました。
福川鉄橋は、日本の近代化を象徴する産業遺構として、極めて高い歴史的価値をもっています。
深谷市 深谷市教育委員会
土台は煉瓦積み。線路も残してあります。
この先も視界が広がって、畑の中を進みます。
子どもの像があるところを過ぎて「国道17号・バイパス」の下をくぐります。
行く手の正面には「赤城山」。
2010年代のようす。
のどかな昼過ぎ、のんびりと歩きます。左手に何やら果樹らしい木が並んでいます。横に伸びた太い幹は布で覆われ、そこから何本かの枝が上に伸びています。今まで見たことがなさそうな、・・・。想像もつきません。
近くで農作業をしている方に思い切ってたずねると、「ああ、あれはイチジクだよ。うちの畑じゃないけれどね。」
「イチジク」なら子どもの頃は庭に植わっているうちもあって、なじみ深いものでした。熟したものを食べたり、イボができると、葉っぱからでる白い汁を掛けると直るとかで塗った記憶もあります。まさかここでお目に掛けるとは思いませんでした。
イチジク
「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。
「映日果」は、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」はこれの音読「エイジツカ」の転訛とする。 ・・・
伝来当時の日本では「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。
日本には江戸時代初期、ペルシャから中国を経て、長崎に伝来した。当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。
果実は生食するほかに乾燥イチジク(ドライフィグ)として多く流通する。
生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。
果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている。
(以上、「Wikipedia」より)
が、見慣れていたのは、こんもりとした感じの、イチジクの木。こういう風に育てるとは知りませんでした。
(HPより)
この図でいくと、2年目以降の剪定の仕方、育て方なのですね。
干して大きく丸めた藁束、収穫間近のネギ畑。満開の梅など春らしい道端の雰囲気を味わいながら進んで行きます。