おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

横川~熊ノ平。アプトの道。その2。(旧中山道をゆく。第9日目。番外編)

2016-03-25 21:26:40 | 鉄道遺跡
 碓氷峠を行き来する列車に電力を供給していた建物。かつて、軽井沢から出て碓氷峠を下る車中、このところを通過中に車窓から見たようすは廃墟のような印象で、かえって興味深く思いましたが、現在は立派に修復され、以前のような荒廃した姿はありません。

    

国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設  変電所(旧丸山変電所)二棟
                               平成6年12月27日 指定
 丸山変電所は、明治45年に建築され西側の建物が機械室で回転変流器と変圧器があった。東側の建物は蓄電池室で、列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補うための蓄電池312個が整然とならんでいた。
 建物の性格としては、工場建築に近いから、同じ煉瓦造り建築と言ってもたとえば東京駅のような華やかさはない。しかし、建物正面出入り口や側面には控えめながら装飾が施され、落ち着いた格調の高いものとなっている。
 煉瓦造り建築の最盛期の所産であることが実感され、今に伝える残り少ない遺産である。

 文化庁  安中市教育委員会

 実は裏手に回ると、かつての、荒廃したままの建物が存在します。
    

 煉瓦造りの趣がよく伝わる意匠になっています。
    

 ちなみにこの建物の他、「碓氷線」関連施設に用いられた(当時の)煉瓦は、ついこの前、廃線跡歩きをした、深谷市にあった「日本煉瓦製造株式会社」製です。不思議なご縁が続きます。

                            

 見飽きませんが、先に進みます。建物の前には、トロッコ列車の停車場・まるやま駅があります。

振り返って望む。

平日のせいか、散歩する地元の方数人以外、誰にも会わず。

この先、沿道に「熊出没注意」の掲示が。

(10:03)「霧積川橋梁」。

古い煉瓦壁なども残っている。

 その先で「アプトの道」(初期の旧線路・単線)とその後の複線化した「新線」(この線も新幹線の開通で廃線となりました)が分岐します。右に進む新線は藪の中に消えてその先にトンネルが見えます。次に合流するのは、「熊ノ平」となります。

    

    

 線路の下をくぐります。左手の大きな建物が「天然温泉 峠の湯」の裏手。

建物の背後に見えるのは妙義山。

 (10:21)トロッコ列車の終着駅「とうげのゆ」駅のところで小休止。そこで出会った方。宿の車で熊ノ平まで送ってもらって下りてきた、とのこと。のんびり歩いてきて1時間くらいだったとか。上りもたいして変わらないと思います、と。
 ここからがトンネル、橋梁が続くハイライトシーン。かつての単線時代の線路跡をゆるやかに上って行きます。

 (10:32)北原白秋の「歌碑」。
    

白秋の歌「碓氷の春」について

                    白秋
 うすいねの
    南おもてと
       なりにけり
 くだりつゝ思ふ
    春のふかきを

 この歌は近代日本詩人の巨匠である北原白秋が詠んだものです。
 大正12年春、当時38歳だった白秋が信濃を訪れた帰り、ここ碓氷峠で「碓氷の春」と題して詠んだと言われています。

 この碑は、元松井田町長の武田弘氏が白秋自筆の色紙をもとに昭和42年に横川駅近くの国道18号線沿いに建てたものです。平成13年に鉄道文化むらの開設に伴い、現在の場所に移設されました。
             松井田町
 
「第1号トンネル」。ここからは線路はなく、簡易舗装された道。

トンネル内はひんやりとしています。足元は濡れていたり、凸凹して、照明は暗め。

西側の坑口。一人で歩くと、少し不安になりそう。

振り返って望む。外に出るとホッと。 

続いて「第2橋梁」。     

 橋の上は舗装され手すりもありますが、橋梁の土台部分は煉瓦造りです。 

 続いて「2号トンネル」。
    

ちょっと広くなってそこに古いレールが。 

トンネル内、地下部分のライトアップ。

 (10:50)「2号トンネル」を抜けると、左手の眼下に「碓氷湖」が広がります。1周約1.2㎞。紅葉シーズンは最高のようです。    
                          

「2号トンネル」を振り返って望む。

湖水を見下ろす「中尾小屋」。 
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