<気仙沼線>市、鉄路復旧を断念 BRT継続
以下のblogの記事は2013年2月に訪れた記録です。その時のこのblogでのカテゴリーは「歴史・痕跡」でした。まさにそうなってしまうのかも知れません。痕跡すらなくなってしまうのか。
このかんの地元の方々の復活への望み、その可能性への挑戦、しかし、現実の厳しさ。二度と戻れない他郷の光景をただただ遠くから見つめるしかない現実も・・・。
しかし、それがけっして他人事ではなくなることもまたあり得ること。
そんな思いも込めて、再掲。
海岸沿いを走る「気仙沼線」。リアス式海岸に沿って、風光明媚で、漁港や海水浴場など見所満載だった路線。
かつての気仙沼線。
東日本大震災で、線路や駅、鉄橋などが崩壊し、全線が不通となった。特に、大津波で多くの駅が流失、津谷川橋(気仙沼市本吉町:陸前小泉 - 本吉間)が落橋、各所で路盤・築堤が流失(消失)するなど、沿岸部を通る陸前戸倉 - 南気仙沼間は壊滅してしまった。復旧には自治体の復興計画による路線の変更も想定できるため、全く見通しがつかない状態に。
そこで、2012(平成24)年5月21日より、年内のバスによる輸送開始を目指し、線路を撤去して舗装してバスが通れるようにし、また並行して走る一般道路も活用する仮復旧計画が実現。こうして、不通区間のBRT(Bus Rapid Transit・バス高速輸送システム)による運行が始まった。同年8月20日よりバス代行運転扱いとして運行を開始。BRT用の車両はJR東日本が用意し、「ミヤコ―バス」に運行を委託していたが、12月22日より、JR東日本がバス事業者となりBRTの本格運行を開始した(実際は、引き続きミヤコ―バスが行っている)。
バス。
「陸前階上」駅(バス路線)。
プラットホームはそのまま(「YouTube」より)。
この区間は、線路を撤去して舗装道路に。
橋桁や柱が崩壊し、すでに線路は撤去されている。本吉町下宿付近。
震災直後のようす。(「写真集」より)
気仙沼線。二度と見ることが出来ない鉄橋を走る気動車。
すっかり線路のなくなった築堤。(「陸前小泉」駅付近?
橋脚のみ残っている。
左奥が海。
中央奥にトンネル。
現在の鉄橋のようす。
遠く、小さな入り江(清水浜付近)に架けられた鉄橋も半分以上が崩壊。手前右は自動車の残骸の山、山。長浜街道内井田付近。
以下のblogの記事は2013年2月に訪れた記録です。その時のこのblogでのカテゴリーは「歴史・痕跡」でした。まさにそうなってしまうのかも知れません。痕跡すらなくなってしまうのか。
このかんの地元の方々の復活への望み、その可能性への挑戦、しかし、現実の厳しさ。二度と戻れない他郷の光景をただただ遠くから見つめるしかない現実も・・・。
しかし、それがけっして他人事ではなくなることもまたあり得ること。
そんな思いも込めて、再掲。
海岸沿いを走る「気仙沼線」。リアス式海岸に沿って、風光明媚で、漁港や海水浴場など見所満載だった路線。
かつての気仙沼線。
東日本大震災で、線路や駅、鉄橋などが崩壊し、全線が不通となった。特に、大津波で多くの駅が流失、津谷川橋(気仙沼市本吉町:陸前小泉 - 本吉間)が落橋、各所で路盤・築堤が流失(消失)するなど、沿岸部を通る陸前戸倉 - 南気仙沼間は壊滅してしまった。復旧には自治体の復興計画による路線の変更も想定できるため、全く見通しがつかない状態に。
そこで、2012(平成24)年5月21日より、年内のバスによる輸送開始を目指し、線路を撤去して舗装してバスが通れるようにし、また並行して走る一般道路も活用する仮復旧計画が実現。こうして、不通区間のBRT(Bus Rapid Transit・バス高速輸送システム)による運行が始まった。同年8月20日よりバス代行運転扱いとして運行を開始。BRT用の車両はJR東日本が用意し、「ミヤコ―バス」に運行を委託していたが、12月22日より、JR東日本がバス事業者となりBRTの本格運行を開始した(実際は、引き続きミヤコ―バスが行っている)。
バス。
「陸前階上」駅(バス路線)。
プラットホームはそのまま(「YouTube」より)。
この区間は、線路を撤去して舗装道路に。
橋桁や柱が崩壊し、すでに線路は撤去されている。本吉町下宿付近。
震災直後のようす。(「写真集」より)
気仙沼線。二度と見ることが出来ない鉄橋を走る気動車。
すっかり線路のなくなった築堤。(「陸前小泉」駅付近?
橋脚のみ残っている。
左奥が海。
中央奥にトンネル。
現在の鉄橋のようす。
遠く、小さな入り江(清水浜付近)に架けられた鉄橋も半分以上が崩壊。手前右は自動車の残骸の山、山。長浜街道内井田付近。