おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

横川~熊ノ平。アプトの道。その3。(旧中山道をゆく。第9日目。番外編)

2016-03-27 19:53:09 | 鉄道遺跡
 次は「第3号トンネル」、「第4」「第5」と続きます。「5号トンネル」を抜けると、いよいよメインの「第3橋梁」=通称「めがね橋」となります。

狭いし、暗いし、蒸気機関車の時代は煙で、・・・さぞかし大変だったでしょう。

「5号トンネル」。

トンネル側面には金具がいくつか取り付けられています。

(11:07)着きました、「めがね」橋。

「5号トンネル」を振り返って望む。

北側には「新線」(新幹線開通後、廃線)の橋梁。

南側。ヘアピンカーブが続く「旧18号線」。

 めがね橋から旧18号まで下る遊歩道があります。下から見上げるとその迫力に圧倒されますす。
     

 碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物である。国鉄信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われた。設計者は、1882年(明治15年)に鉄道作業局技師長としてイギリスから日本に招聘されたイギリス人技師のパウナル (Charles Assheton Whately Pownall)[1]と古川晴一。
 1891年(明治24年)着工。高崎駅と直江津駅を結ぶ路線(後の信越本線)のうち、上述の区間だけが未開通だったため急ピッチで工事が進められ、1893年(明治26年)に竣工した。
 開業直後から強度不足による変形が指摘され、これに伴い翌1894年(明治27年)に耐震補強名目で橋脚・アーチ部の双方に対する大掛かりな補強工事が実施された。
 その後は信越本線の電化を経て1963年(昭和38年)に新線が建設され、アプト式鉄道が廃止されるまで使用された。
 全長91m、川底からの高さ31m、使用された煉瓦は約200万個に及ぶ。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、1993年(平成5年)には「碓氷峠鉄道施設」として、他の4つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定された。
(以上、「Wikipedia」参照)

            

国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設 碓氷第3橋梁(めがね橋)
                      平成5年8月17日 指定
 高崎~横川間は明治18年(1885)10月、軽井沢~直江津間は21年にそれぞれ開通しましたが碓氷線と呼ばれた横川~軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため、路線決定に紆余曲折し、明治26年(1893)4月開業となり、高崎~直江津間の全線が開業しました。
 横川~軽井沢間の11.2キロメートルは、千分の66.7という最急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていた、アプト(アブト)式が採用され、昭和38年(1963)まで走り続けました。
 この碓氷線には、当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、現存しているなかでも、この碓氷第3橋梁は2百万個以上のレンガを使用した、国内でも最大のレンガ造アーチ橋です。

 文化庁 安中市教育委員会

                

旧信越本線の碓氷第3アーチ
1、建 設 明治25年12月竣工
2、設計者 イギリス人、パウネル技師
      日本人、古川晴一技師
3、構 造 煉瓦造、アーチ橋
       (径間数4、長さ87.7メートル)
4、建設してからのあゆみ
 碓氷の峻峡をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。
 その勾配は1000分の66.7という国鉄最急勾配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。
 このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しています。ここに往時を偲ぶ記念物として、その業績を長くたたえたいものです。

  昭和45年1月1日 高崎鉄道管理局 松井田町教育委員会 

       

                              

 橋の手すりには写真と解説が並んでいます。
    

碓氷峠は日本を代表する「片峠」。

 「横川」~「軽井沢」間。11.2㎞で、標高差553㍍。横川からほとんど上り道が続きます(タモリの番組の写真付き解説)。

 この先は「6号」「7号」「8号」「9号」「10号」と連続してトンネルを通過します。いくつも排気孔のあるトンネルも。

    

 ところが、「6号トンネル」には「熊出没注意」の掲示。去年4月、この付近で撮った大きな熊の写真とともに何カ所にも掲げてあります。ビックリ!
 もしトンネル内に入ってきたらお手上げ。熊除け用の大きな鈴もないし、ラジオも持ってないし、大声でしゃべる相手もいないし、・・・。

 急いでトンネルを抜けると、いました! サルが何匹も。日光と違ってえさを求めて近づいては来ないだろうけれど。
    (↓)

 「第6橋梁」。「めがね橋」に次ぐ長さ。補修の形跡がなく、建設当時のまま残されているようです。
    

    
 こうして次々と現れるトンネルを過ぎると、終点の「熊ノ平」。「アプトの道」の折返し地点。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする