おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武線「梅郷駅」~朝日バス「法珠花上町」。その2。野馬土手。真っ直ぐな道。グリコピアCHIBA。流山街道。曽田香料。(「日光東往還」を歩く。第2回目。)

2022-05-02 20:40:48 | 日光東往還

               「野馬土手および樹木・野草保護のため散策路をご利用ください」。

散策路。

野馬土手。

       

解説板。

野田市の北部と南部は、江戸時代の初期に庄内牧(しょうないまき)とよばれる、野馬のほうぼくじょうとなっていました。庄内牧は徳川幕府により設置され、その目的は、幕府御用馬の生産や輸送、農耕用の馬として民間の需要にこたえるものでした。

牧に隣接した村を「野付村」といい、村々の農民には野馬法度という規則が定められ、それには①牧の外に出た馬を安全に保護すること、②年一度の野馬捕りには人足を出すこと③風雨などで壊れた野馬土手を修復するなどの義務がおわされました。しかし、その反面、野馬を民間に払い下げる際に、付近の村びとは有利に入手できたようです。

江戸時代中期になると、庄内牧はその全域が新田開発の対象地となり消滅しました。しかし、現在においても、この付近に残る野馬土手によって当時の面影をしのぶことができます。あるいは、市内の地名にみられる、牧―真木ノ地(清水)、槇の内(尾崎)、込=上野馬込(花井新田)、苅込(野田、船形)なども庄内牧に由来する歴史の産物です。

この土手は、横内・中根・堤根・花井新田へと日光街道に沿ってほぼ真っ直ぐにつながっています。庁舎前では道路の東側に、花井新田付近では西側に見ることができますが、本来は道路の両側にあって、道路の中を往来する野馬が田畑に暴れ込まないようにと、土手と堀を造ったもので、野馬除(のまよけ)土塁と考えられています。

庁舎前の土手を発掘調査した結果、土手の裾から堀の縁までの幅約6メートル50センチ、堀の底から土手の頂上までの高さ約2メートル75センチという規模のものであることが分かりました。また、堀の断面形は漏斗形で、現在の地表面からの堀の深さは約1メートル70センチでした。野田市内に現存するもの保存状態も良好で、比較的長く連続している様子を見ることができます。

※下に絵図が付記されているように、現在、堀の部分は、埋め立てられてしまっているようです。

振り返る。左手が野馬土手。

野田市役所。

市役所から先を進むと、右手に「国道16号線(東京環状道路)」が見えてきます。

この付近は、1970年代にはまだまだ緑が残っていました。

                                     

16号線の向こうは、ゴルフ場。

旧道は左へ曲り、さらに右に曲がります。

目の前には大きな更地。

「16号線」を横断し、「千葉カントリーゴルフ場」脇に進みます。

           

左手は「グリコピアCHIBA」。

千葉県野田市の「グリコピア CHIBA」は、グリコのアイスクリーム製造過程が見学できるミュージアムです。「パピコ」や「セブンティーンアイス」がどうやってつくられて家庭に届くのかを、製造ラインの見学のほか、映像やさまざまな体験により楽しく学べます。

建物の入り口には最高のフォトスポットであるグリコマークの巨大壁画があり、ゴールインポーズをきめて、思い出に残る記念写真が撮影できます。クリーンルームでエアシャワーを全身に浴びたり、巨大冷凍庫に入ってアイスクリームの保管温度を体感したり、子どもも盛り上がる体験が用意されています。

見学後には、うれしい試食タイムがあり、なぜかいつもよりおいしく感じるパピコを食べられます。さらに、有料でアイスクリームづくりができる「グリコキッチン」も実施され、親子で楽しくおいしい手作り体験ができます。大人も子どもも大満足の「グリコピア CHIBA」は、完全予約制なので、まずは予約をどうぞ。(「いこーよ」HPより)

突き当たりを左折します。

             

右手はゴルフ場、

               

左手はグリコ。

ゴルフ場や工場のために左折するのではなさそうです。旧道そのものが屈折していました。

この付近の今昔。

                                                                                                                             

1880年代のようす。現在の道とほぼ同じ。              2010年代のようす。広い道路は、国道16号。

再び国道16号を横断。

県道17号線・流山街道に合流。

           

ここから、またしばらく直線道路が続きます。約2㎞。

                船形まで続く。

振り返る。炎天下だと参りそう。

「檜溜(ひのきだめ)」バス停。

かつての地名や由来を知るために、バスの停留所名がかなり参考になります。これまでも役に立ちました。さて、この地名の由来は?

途中で見かけた看板に、

曽田香料(株) 野田支社。

国内有数の総合香料メーカー 

曽田香料は1915年創業以来、
総合香料メーカーとして香り文化の一翼を担ってまいりました。

私たちは「香料を通じた社会貢献」「企業としての充実と発展」「ステークホルダーへの適正配分による豊かな暮らし」を目指すことを理念とし、一世紀以上にわたって培われてきた伝統と理念を忘れることなく、皆様とともに歩んでいく所存です。

今日まで培ってきた豊富な経験と技術力により、安全で高品質な製品をお届け致します。取り扱い製品は、フレグランス、フレーバー、食品天然色素、天然香料、合成香料、ガス着臭剤の他、合成技術を応用したファインケミカルなど、幅広い分野を担っています。

(「同社」HPより)

歩き疲れてきたので、看板を見ただけで心が癒やされました。

・・・

ところで、松戸方面から続く「流山街道(県道5号線・17号線)」と南柏から始まる「日光東往還」との関係性について。

「Googleマップ」では、「江戸川台駅」付近から関宿台町付近まで(「日光東往還」は、一部、「梅郷駅」から野田市役所先、さらに関宿城に通じる江戸川沿いの道として標示されていますが)ほぼ重複して標示されています。

また、「今昔マップ」によると、すでに明治末・大正期には、現在の「流山街道」が太線で標示され、「旧日光東往還」は破線になっていて、流山から関宿に向かう道としては、使用頻度が低下してしまったようです。

その後、ゴルフ場の開場、工場の設置などで旧道が舗装され拡幅・再整備された、と考えられますが。

赤い線が日光東往還。

コメント
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