昭和20年(1945)終戦時の内閣総理大臣だった「鈴木貫太郎記念館」。当面休館中。
「鈴木貫太郎翁終焉之地」碑(吉田茂謹書)。
内閣総理大臣として日本を終戦に導いた鈴木貫太郎翁が、幼少期と最晩年を過ごした地でもある旧千葉県東葛飾郡関宿町に開館した記念館です。
記念館は貫太郎翁の旧宅があった場所の隣にあたり、軍服や日常生活品などの遺品や肖像など500点以上を所蔵するほか、昭和天皇の「御聖断」を仰ぎ、ポツダム宣言の受託を決めた御前会議を描いた油絵「最後の御前会議」(白川一郎画)が展示されています。
また、敷地内には、「永遠の平和を築く」ことを願い、戦後貫太郎翁が好んで書いた「為萬世開太平」と記された白く大きな塔が静かに立っています。(「野田市」HPより)
「博物館入口」信号から左斜めに真っ直ぐ進みます。
正面に利根川の土手。
右は「境大橋」への道。
色あせた解説板。
日光東往還と利根川の渡し
日光道中(街道)の東側の脇街道の一つとして、水戸街道の向小金(柏市)付近から関宿城の大手門前を通り、城の東側を周回して利根川縁に至り、渡し船にて境河岸に渡り、結城(茨城県)付近を経て、雀宮(栃木県宇都宮市)で日光道中と合流している。関宿付近では藩主にちなみ「久世街道」とも呼ばれていた。この街道を通って日光方面の物資は境河岸に集められ、旅人などは対岸の境と関宿の間を渡し船に乗り往復していた。そのため、江戸時代のこの街道筋は江戸と地方を往来する人々で賑わっていた。
左手遠くに「関宿城博物館」。
土手への道筋に。
安全祈願の大きなカエルの石造が二体。
土手に上がってみます。
2月以来の再訪。関宿城が見える。
「関宿城博物館」は、「利根川」歩きの時に立ち寄って見学しました。その時の館内の一部を再掲。
関宿絵図。
4F・天守閣(展望台)からの四方の展望。
利根川の流れ。
筑波山。
富士山。
利根川に架かる橋は、「圏央道」。その奥に赤城山。
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この博物館はけっこう見ごたえがありました。マイカーでないと来にくいところですが、ぜひ再訪したいものです。
対岸のようす。
右の建物は「道の駅さかい」。
下流を望む。
関宿方向。
江戸川方向。
境大橋を渡って対岸の茨城県・境町へ。
「海から120.5㎞」。
利根川歩きで歩いた土手。
下流方向。
併設されている歩道橋を歩きます。
利根川下流方向。
上流方向。
「関宿城博物館」(↓)。