おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書124「私の空想美術館」(粟津則雄)生活の友社

2010-11-07 22:10:05 | つぶやき
 先頃、月刊誌「美術の窓」の2004年2月から連載されている、その最初の20回分が出版されました。題して、『私の空想美術館』。
 少年期の頃からヨーロッパの芸術や文学に親しみ、長じてそれらへの探求、思索が生涯の仕事となった筆者ならではのヨーロッパ芸術鑑賞の一端ともいうべきものです。
 表題からも察せられるように、けっして堅苦しい読み物ではありません。一方で、さまざまなジャンルの対象に肉薄することを通して、自らの芸術経験を見つめ直し、再構成していこうとする確乎とした筆者の意志が明確に伝わってきます。
 筆者の生死観が明確に読者に伝わっていく鑑賞姿勢、第3室で取り上げられたゴーギャンの作品『われわれはどこから来たのか、われわれは何か、われわれはどこへ行くか
』が、その筆者自身の「私」そのものの存在・基盤を象徴しているようにも思います。
 まさに「私」の「美術館」です。
 一つ一つの作品は、多くの方が知っている(見たことがある・聞いたことがある)ものですが、実際にその作品そのものに接したことがない人がほとんどでしょう。かくいう私もその一人です。少年期から写真等で見ていた、書物から知っていた、その本物に肉眼で接することができた、筆者のような人間は、類まれな人物でしょう。そこに嫉妬心さえ生じてきます。
 しかし、ヨーロッパ芸術への並々ならぬ、どん欲なほどの実物主義(という言葉が妥当ではありませんが)、そこから生まれ出る透徹した鑑賞眼を感じる(お裾分けしてもらえる)こそが、この本のすばらしい魅力です。
 少年時代から晩年に至るまで、こうした一途に対象を見つめることが出来ることほど幸福なことはないでしょう。またそれを押しつけがましくではなく、自然体で読者を巻き込むことが出来るのは、文学や哲学者、評論家冥利につきると思います。 
  
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菅民主党内閣へのテロ行為ではないか

2010-11-06 06:32:35 | つぶやき
 今回のビデオ流出事件。反菅・反民主党の確信犯が行ったことではないか。民主党を窮地に追い込むための。
 東京都の石原慎太郎知事は、「内部告発だろう。国民の目に実態を見てもらいたいという形で、あれが流出した。結構なことではないか」と述べた。
 また、自民党の国防部会長を務める岩屋毅衆院議員は、「自民党は映像の全面公開を求めてきたので、結果として事件の実態が国内外に明らかになるのはいいことだ」「どなたかの正義感によるものだろう」とも。
 朝日新聞なども詳細に分析し、流出ビデオからいかに中国漁船が意図的にぶつかってきたかを検証している。どのマスコミも右にならえ。ついでに、流出責任を担当大臣に求めているのも、同様。このビデオ自身が原テープそのままではなくて、意図的に編集され、海保からの映像として流したものだとすれば、流出者の意図は、いっそう明確になる。
 さらに、流出責任を取れという視点から。海保の監督官庁は国土交通省。馬淵大臣のクビをとる、これは八ツ場ダムの今後の展開にも影響があるだろう。また、検察だったら法務大臣のクビ。これは、いよいよ検察権力の本格的な反撃かも知れない。
 流出者の罪は、実はそれほどたいしたことはない。せいぜい、罰金と懲戒免職。しかし、ささやかなその犠牲を強いても、菅内閣、民主党政権への打撃を与え、横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、日中間の改善への決定的な打撃になる。二重三重に意図は貫徹し、成果はあがる。その人間を積極的にかばう政治家やマスコミも出て来るだろう。
 いみじくもイシハラが暴露したように、自己流の「正義」観に基づいての内部告発者が検察や海保にいるということは、一方で、国家権力の中枢を担う官僚達(かなり大規模かつ組織的に連携している)が、どんな手を行使しても「民主党政権」の政治運営をとことん排撃していこうとする強力な意志があるということだ。
 戦前ならばクーデターまがいの出来事。反民主の底流にうごめく勢力は、何なのか。 今回の流出者のネームが「SENGOKU」というのが気にかかる。いよいよ日本に内部分裂を持ち込み、混乱に乗じて自らの意図を貫徹する政治体制を築こうとしているのではないか。官房長官の名をかたったのか、さもなければ、戦国なのか。
 ここは、国民はマスコミに踊らされて扇情的になるのではなく、また、菅内閣・民主党は、流出の経路解明についての毅然とした究明姿勢を貫くと同時に、いっさいの編集なしの撮影ビデオの完全公開を行うべきではないか。さらに、どんなことがあっても民主党政権を投げ出したり、解散総選挙にさせないことだ。
 この問題。不起訴になったとたん、例の検察審査会に不起訴不当の申し立てが出されるだろう。そして、起訴相当の判断が出され、・・・。
 試練の時である、日本の民主主義の。 
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内憂外患など言っている場合ではない

2010-11-05 06:46:57 | つぶやき
官僚任せの答弁原稿「本当はやめたい」 首相が嘆き節(朝日新聞) - goo ニュース
 元気がないのは、自信がない。ただ下を向いて原稿を読んでいる。眼鏡をかけたり外したり・・・。その姿は哀れな感じすらします。
 菅さん。野党時代の勢いはなくなって、ひたすら自己弁護に終わっています。きちんとした情報をあげる側近もいなそう。まさに裸の王様。というか無能な経営者。誰も注意する人もいない。
 では、党首として仕切っているかというとどうもそれも怪しい。小沢さんに会って国会で証言をさせる勇気もなく、小沢の勢いに負けて離党勧告すら出来ず。
 ウチすら取り仕切れず、ソトでも何も出来ず。有言実行ならぬ「有言不実行」。これで、日本が元気になると思っているとしたらよほどの脳天気。
 政治家としての出処進退をいいかげんにもてあそぶ鳩ぽっぽさんにも何も言えず・・・。やはり宰相としての器ではなかったのでは、といわれてしまいます。かといって、他にいないのだから、ここでもう名誉や地位など意識せず、居直って、国民の前に、自分の言葉で自分の思いをきちんと語って下さい。国民はもう少し我慢しますから。
 まず小沢さんに引導を渡すことです、離党か議員辞職かの。おそらく小沢さんたちは集団離党をするとか脅すでしょう。それで、政界再編へ。そうなって、権力亡者・政官癒着で再び甘い汁を吸いたい自民党と小沢グループ(鳩ぽっぽグループも含めて)が組むことになってもいいじゃないか、と思うが。
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読書123「遠藤周作『深い河』を読む」(山根道公)朝文社

2010-11-04 20:06:58 | つぶやき
 今朝の朝日新聞。死生観に対するアンケート。「死」にどう向かい合うかへの調査。
高齢化+(ガン)死+延命+死後・・・。アンケートに見られる通り、安らかな最期を願うのは、誰しも。そこに宗教の存在もあるのだろう。一方で、そこにつけ込もうとする、いかがわしい「宗教」も存在。
 遠藤周作。クリスチャンとして日常的な生活はもとより、人生(死生観)に向き合ってきた作家。その遺作とも言うべき作品が、『深い河』。1993(平成5)年、書き下ろし長編小説として出版された。「深い河」=ガンジス河。死者も生者も包み込み流れる大河をめぐる話。ガンジス河は、これまでの遠藤文学に登場してきた、さまざまな人々が集うところでもあった。生も死も無窮の彼方へ溶け込ませる大河・ガンジス河。
 この作品は、その『深い河』の作品研究にとどまらず、宗教的人生についての考察の書。筆者自身も、クリスチャンである。そこに、深い信仰的確信にもとづく遠藤文学の解析がある。ただ、そうした観点でのみ追求したものではないことが読者にとっては大事なこと。
 『沈黙』などで、厳格なキリストの教えと日本人としての精神風土とのはざまで苦労し思索してきた遠藤周作さんが、自らの人生の完結を間近に自覚し、生死観にまで至った葛藤を昇華した作品が『深い河』。そこへの宗教的共感の姿勢が、筆者自身への人生の投影にもなっている。
 副題に「マザーテレサ、宮沢賢治と響きあう世界」とある。宗教的な自己中心的な立場を越えて、苦悩する人々への共感とよりそいによって、かえって自らの精神生活を止揚し、世界に(人類に)その行動への広がりを見せた二人の人物と対比しながら、遠藤文学の本質(意味するもの)を解き明かそうとしている。
 彼岸と此岸。この世とあの世。死と生とをとことん隔てるかの如き深く大きな河。ホントウにそうなのか、死というものを意識し始めるのは、60歳過ぎからというのが、朝日のアンケート結果。
 また、あの世があると思う(信じる)の人思わない人はほぼ半数ずつ。生まれれば必ず死ぬ。では、死ねばどうなるのか? 永遠の謎。そこにどういうかたちで希望を見いだすのか、はたまた絶望するのか・・・。
 筆者の「あとがき」によれば、
 映画化された「深い河」(熊井啓監督作品)感性試写会での遠藤周作さんの言葉にかかわって、
 『深い河』は、遠藤氏が「自分の人生が終わりに近づきつつあることを感じ」「文字通り骨肉をけずり」書き上げ、日本人としてキリスト教の信仰を生き抜いてきた人生のなかで捉えた真実を総決算の思いで込めた作品であっただけに、日本のキリスト教界からの反応が乏しいことをさびしく感じていたことが感じられた・・・
 むしろ、遠藤氏の作品は、日本人の根底にある感性、しいていえば文化に触れるところがあったのではないか。 
 遠藤周作。『深い河』を発表した3年後、1996(平成8)年9月26日死去。
 

  
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読書122「脳と心ークオリアをめぐる脳科学者と精神科医の対話ー」(茂木健一郎・斉藤環)双風舎

2010-11-03 22:06:10 | つぶやき
 いっときのブームは終わったかのような「脳トレ」本などなど。そうした浅薄な話題つくりが一段落した現在、改めて「脳」と「心」との関わりを知的に探ってみるのもいい。真(なるもの)、善(と悪)、美(醜を感じる)・・・。こうした人間の心の働きに関する哲学的(言語的)解明。大げさに言えば、人類永遠の悩める、解明すべき課題ではある。
 「クオリア」という言葉を広めた代表格が、茂木さん。かなりの著作をものし、かなりあちこちで発言し、しばしばマスコミに登場している(本人に言わせると、茂木著本には、自分で一字一句書いたもの、自分の話をライターや編集者がまとめたもの、翻訳など監修しただけのもの、の3種類があるそうだが)。マスコミ登場の頃は、ちょっといかがわしい感じがしたのも、事実。
 一方の斎藤さん。精神科医であって、時事問題からサブカルチャー(文化論)まで精力的に評論活動をしている方(「引きこもり」問題では、そのとらえかたを巡って芹沢さんから叩かれたこともある)。「クオリア」なる曖昧模糊とした「ことば」によってかえって心の本質が見えなくなる、と茂木さんを批判する立場。
 このお二人の往復書簡の記録。編集部がその間に立って、解説を試みる形式。どちらかといえば、斎藤寄りか?
 斎藤さん、第一信で、脳科学者と称する人の書いた『ゲーム脳』をトンデモ本の代表として取り上げ、脳科学者たちへの先制攻撃を仕掛ける。それから2年過ぎた後で茂木さんからの返信。ここからやっと二人の往復書簡が始まる。
 ま、ほとんどすれ違い。片や脳科学者何するものぞ。片や別にそれに与しているわけではないのに・・・。
 しかし、クオリアなるものの曖昧さをつくだけじゃなくて、人間の善悪、美醜などの理性や感性などはすでに決定されているものか、感じる、考える主体とはどういう存在、表現する機能としての言語とは何か、など次第に深まっていく。そこで、後は読者に任されてしまった。そういう読後感が面白い。


 
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政権党の責任回避

2010-11-02 21:28:31 | つぶやき
知事選で伊波氏支持を決定=会長「不戦敗」民主を批判―連合沖縄(時事通信) - goo ニュース
 政権を担っている政党が、きわめて重大な政治問題(化)に対して意思表示ができないことほど無惨で無責任なことはありません。本音では現知事の再選を望んでいると思います。ことの善し悪しは別として、このかんの移設問題への民主党の決定からしてみて。
 県外、国外移設という方針をいとも簡単にかなぐり捨てて、日米合意をした、鳩山さんの迷走ぶり(本人に自覚症状がないだけ末期的)。これを踏襲した菅さん。
 だったらそれでいけばいいじゃないか(私は反対ですが)。まさに日米間を越えた国際問題化している、それを政権党が係わらない、選挙結果を待つのみ、という姿勢。
 外交問題での無能ぶりをこれほどはっきりさせられては、国民は一層民主党に愛想がついてしまった! 
 自民党でいいかとはならないまでも、民主党は自民党との支持率が逆転した(産経など)現実に菅さんはどう動こうとしているのか、知ることができません。もっと元気を出して、明確な言動で国民を納得させて下さい。
 これでは、敵を利するだけで、ますますボロボロになるだけです。小沢さん一人の処遇にも、どうにもできないですし・・・。
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