仲道郁代《モーツァルトの響き》
「今回のコンサートでは、私が自宅で親しんでいるモーツァルト時代のフォルテピアノ(シュタイン1790年のレプリカ)を使用します。オーケストラも時代を考証した楽器、奏法にて演奏いたします。」
仲道さんはご自身の「シュタイン」(レプリカ)(楽譜の解釈をご参照)で、オーケストラの皆さん(バッハ・コレギウム・ジャパンの皆さんが中心)はモーツアルトの時代の古楽器で、それぞれ演奏するという、タイムトリップ型のコンサートである。
当時、フルートは木管楽器だったらしい。
ということは、「魔笛」の笛のイメージも変える必要があるのかもしれない。
さて、5オクターブしかなく(幅も1メートルなさそう)、ペダルも事実上使えないフォルテピアノの音色は繊細(というか、音が小さい)だが、上品な響きで「可愛らしい」という印象である。
ただ、ピアノ協奏曲20番のような、モーツアルトにあっては数少ない”感情をむき出しにする”曲の場合、観ていると、感情が「楽器を跳び越える」情景が思い浮かぶ。
表現するのは難しいが、フォルテピアノのような「可愛らしい」音色では表現できないもの(モーツアルトが表現しようとしたもの)が、跳躍したがっているのを感じるのである。
例えていえば、「ライオンなのに、チーターの恰好をさせられている」ような感じである。
こうやって、楽器も進化してきたのではないだろうか?
「今回のコンサートでは、私が自宅で親しんでいるモーツァルト時代のフォルテピアノ(シュタイン1790年のレプリカ)を使用します。オーケストラも時代を考証した楽器、奏法にて演奏いたします。」
仲道さんはご自身の「シュタイン」(レプリカ)(楽譜の解釈をご参照)で、オーケストラの皆さん(バッハ・コレギウム・ジャパンの皆さんが中心)はモーツアルトの時代の古楽器で、それぞれ演奏するという、タイムトリップ型のコンサートである。
当時、フルートは木管楽器だったらしい。
ということは、「魔笛」の笛のイメージも変える必要があるのかもしれない。
さて、5オクターブしかなく(幅も1メートルなさそう)、ペダルも事実上使えないフォルテピアノの音色は繊細(というか、音が小さい)だが、上品な響きで「可愛らしい」という印象である。
ただ、ピアノ協奏曲20番のような、モーツアルトにあっては数少ない”感情をむき出しにする”曲の場合、観ていると、感情が「楽器を跳び越える」情景が思い浮かぶ。
表現するのは難しいが、フォルテピアノのような「可愛らしい」音色では表現できないもの(モーツアルトが表現しようとしたもの)が、跳躍したがっているのを感じるのである。
例えていえば、「ライオンなのに、チーターの恰好をさせられている」ような感じである。
こうやって、楽器も進化してきたのではないだろうか?