「・・・世のなかには学者と呼ばれる閑人もいて、この傑作はどういうプロセスで書かれたのかーーーなどという研究をしたがる。こちらの方面は、日本ではあまり熱心におこなわれていないけれど、海外諸国では作品研究の重要な課題だとされ、普通「生成批判」とよばれる。わたくしの知る限りでは、フランスがいちばん熱心なようで、そのために、原稿の類だけ専門に集めている図書館までがある。」(小西甚一「三島の霊気」)
年に1回程度、ハイキングの帰りに、山中湖畔にある「文学の森公園」に立ち寄るのがこの10年くらいの習わしになっている。
山中湖にゆかりのある芸術家や評論家などについて、催しが行われているのを見学するのである。
徳富蘇峰館では毎回違ったイベントが開催されているし、三島由紀夫文学館では三島由紀夫の仕事部屋が再現されていたりして結構面白い。
この仕事部屋で数々の名作が生まれたわけだが、意外なところでは、彼が生前愛用していた可愛らしいナマズの文鎮などもあり、見るだけで癒やされる思いがする。
今年は、「特集展「推しの演劇~新世紀の三島演劇」」と「三浦環生誕140周年、旧中野村疎開80周年記念展「三浦環をめぐる人たちⅠ」」というのがあり、どちらも興味深かった。
前者について言うと、「三島の推し」の戯曲は、一にも二にも「サロメ」である点が強調されている。
そういえば、作家自身も、ある意味ではバプテスマのヨハネのような死に方をしたのであり、これについては、フロイト先生とラカンが的確に分析している(主体と客体の間(2))。
さて、劇作家や評論家が選ぶ「推し」の作品は、「サド侯爵夫人」と「近代能楽集」に圧倒的に集中している。
これは、どうやら世界的にも同じ傾向のようであり、今でもこれらの作品は世界のどこかで上演されているそうである。
もっとも、「近代能楽集」を含む戯曲作品の上演頻度については、変遷があるようだ。
以下は上演回数。
<1950-1970>
① 綾の鼓 14
② 鹿鳴館 9
③ 卒塔婆小町 8
<1971-1991>
① 卒塔婆小町 28
② 葵上 25
③ 班女 22
<1992-2008>
① 卒塔婆小町 43
② 班女 43
③ 葵上 31
「卒塔婆小町」の人気が年を追うごとに増していることが注目される。
この作品では「没落現象回避型」の思考(25年前(10))が扱われているところ、この思考がどんどん勢いを増していることの反映ではないかと思われる。
・・・ところで、私の「推し」の劇作家は、何といってもソポクレスである。
というわけで、彼の作品を観に行くことにしよう!