次の演目は「コロノスのオイディプス」。
おそらく上演頻度は決して高くないはずであり、解釈も難しい作品である。
一つのヒントは、(私がソポクレスの最高傑作と考える)「フィロクテーテース」にある。
「Sophokles の死から5年を隔てて401年に初めて上演された遺作 ”Oidipous epi Kolonoi”はこの<二重分節>単位の先験性を結局全て Oidipous に託す。自分とデモクラシーを「Oidipous の死」に同定する。自分の死即ち一個人の死に与えられる意味(それらを捕らえる諸々のパラデイクマが示す屈折)、そして Oideipous の死に<神話>上与えられる意味(同上)、の二つを重ね、それぞれが形成する屈折体(小さな社会構造)にデモクラシーの運命を委ねたのである。
この作品の Oidipous がほとんど Philoktetes の別名であることは疑い無い。完全に無価値かつ有害な存在として見捨てられ駆逐された、その後に突如勝利の切り札として利用されようとする、その点で両者は全く同じ立場に立つ。」(p315)
そう、オイディプスも、フィロクテーテースと同様に、「完全に無価値かつ有害な存在」とされながら、「勝利の切り札」ともなるという、アンビヴァレントな存在である。
両者は、「最後の一人」であり、共通するテーマは「二重分節」である。
さて、舞台上には三作の中でおそらく一番多くの(主要)人物が登場する。
オイディプス、アンティゴネ、テセウス、クレオン、ポリュネイケス、イスメネ、ハイモン。
つまり、当時存在したオイディプス・ファミリーのうちエテオクレスを除く全員が揃っており、オイディプスをいわば奪い合う。
対立の構図は、ポリュネイケス・クレオンと、アンティゴネ・イスメネというもので、結局後者が勝利する。
もっとも、アンティゴネ・イスメネがオイディプスを手にするわけではなく、彼は「誰のものでもありえない存在」として、アテナイを永遠に守護することとなる。
「Oidipous は死の予兆が訪れると直ちに Theseus を呼び寄せる(1457ff.)。Oidipous は Theseus に秘訣を授ける(1518ff.)。死の瞬間に二人だけで秘密の場所に行ってそこに Oidipous が埋葬されるようにする。Theseus はその場所を決して誰にも明かさず、ただ後継者だけに伝えて行く、というのである。確かに、これにより Athenai は絶対に奪われない形で持つことがでくる、がしかしそれは、Oideipous がただ単に誰のものでもないのでなく、誰のものでもありえないようになったことに基づくのである。こうして少なくとも Thebai は決して Athenai を侵略しえないのである。戦争、そして或る種の政治は、全て理論的には Oideipous の奪い合いである。」(前掲p321~322)
というわけで、「コロノスのオイディプス」にポトラッチは出現しなかったので、ポトラッチ・ポイントはゼロ。