Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

傑作の救済(4)

2024年10月15日 06時30分00秒 | Weblog
 そういうわけで、「鏡子」は、
 「そこに文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する・・・「みやび」」としての「日神
の寓喩らしいことが推測出来る。
 少々乱暴だが、分かりやすく単純化すれば、
 「鏡子」=「日本文化」
ということのようである。
 要するに、昭和34年に発表した小説(「鏡子の家」)の種明かしが、昭和43年(初出)の評論「文化防衛論」でなされたわけである。
 これは本来なら反則と言うべきだが、現代の日本には、寓話的作品を次々と発表しておきながら、種明かしはせず、「読者の解釈に委ねる」だけの作家もいるのだから、非難するわけにはいかない。
 もっとも、これが種明かしとして十分かどうかについては疑義があり、「文化防衛論」の文章は全体的に不明確であると言わざるを得ないと思う。
 上に引用した文章からは、とりわけ「鏡」と「天皇」との関係がはっきりしない。
 これは、私見では、この作家が評論の分野でときどき見せる一種の悪癖(「『平家物語』シンドローム」)があらわれたものだと思う。
 例によって、”シューイチ”の指摘が的確である。

 「余談ながら、意味の明瞭でない漢語を連らねて、考えのすじみちをはっきりさせず、しかし漠然として悲壮な雰囲気をかもし出す日本語の散文は、今日なおこの国の少年少女の大いに好むところである。すなわち第二次大戦の前には、「日本浪曼派」があり、戦後には三島由紀夫と極左の学生の檄文があった。その源を辿れば、遠く『平家物語』に及ぶのである。」(「日本文学史序説 (上)」p343)

 さて、この問題については、この作家特有の思考の型に沿って考えると良いと思う。
 つまり、ここでも「原animus」ー「第2のanimus」という分節(不健全な自我の拡張(7))があると睨んで、
「日神(鏡)」=「原animus」
「(文化概念としての)天皇」=「第2のanimus」
という関係、ざっくり言えば、両者は「魂」とその「象徴」という関係にあると見る。
 「日本文化」の象徴が「天皇」であるというわけである(日本国憲法第1条のバリエーション?)。
 そうすると、差し当たり、「鏡子」は「魂」の寓喩という位置づけでよいのだろうが、ここで厄介な問題が生じてくる。
 この作家は、référent (レフェラン。指示対象)を一貫して拒絶しておきながら、他方において、「実際に見たことがあるものしか書けない」という特徴をもっており(風景や環境のスケッチに多大な時間を費やすことで知られている)、小説の「物象乃至人物」を描く際には現実に存在する「物象乃至人物」をじっくりと観察し、モデルとして借用するのである。
 つまり、レフェランの借用である。
 「鏡子の家」で言えば、「鏡子」のモデルというかレフェランは、作家の幼なじみの友人であった湯浅あつ子氏だった。

 「そのかわりに昭和29年から4年にも充たぬ短いものだったが、自分のそばに寄るものからは、容赦なく、すべて自分の文学へのいけにえとして、おそいかかっていった。『鹿鳴館』は私の姉の姑が大いに利用され、私のサロンが『鏡子の家』となり、いつのまにか深い仲になっていた人からのヒントが『橋づくし』になり、その彼女のおかげで、『金閣寺』の映画化で、市川雷蔵と親しくなり、彼は満ちたりた幸せの中で有頂天になっていた。私などは、余り身近なところで次々と作品が出来てゆくので、空恐ろしさと尊敬と半々の毎日であった。もっとも、『鏡子の家』はフィクションとはいえ、私のサロンをまるで淫売宿風にあつかった個所が不愉快で、宣伝も、新潮社の佐藤さんに、彼からお願いして止めて貰った。」(P120~121)

 湯浅さんは、何と「日神」のモデルとされたわけなので、本当は大変な栄誉であるはずなのだが、本人はそう感じなかった。
 実在するレフェランとしての人間を作品に登場させる際、この作家は誇張したり戯画化したりする癖があって、時に誤解を生んだようである。
 「宴のあと」でも、おそらく本人に悪意は全くないのだが、モデルを怒らせてしまったのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 傑作の救済(3) | トップ | 傑作の救済(5) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事