「アイバ・トグリ(戸栗郁子)は1916年にアメリカで生まれアメリカで育った日系二世。日本語の教育を受けることなく1920~30年代のアメリカで青春を過ごした。叔母の見舞いのために25歳で来日し、すぐに帰国するはずが、時代は第二次世界大戦へと突入、アメリカへの帰国も不可能となってしまう。そこでアイバは、母語の英語を生かし、タイピストと短波放送傍受の仕事に就く。戦争によって起こる分断や、離散、別れ。多くの人々を襲った不幸がアイバ自身とその家族の身にも降りかかる。
やがてラジオ・トウキョウ放送「ゼロ・アワー」の女性アナウンサーとして原稿を読むことになったアイバ。その女性たちをアメリカ兵たちは「東京ローズ」と呼んだ。終戦後、アイバが行っていたことは、日本軍がおこなった連合国側向けプロパガンダ放送であったとされ、本国アメリカに強制送還され、国家反逆罪で起訴されてしまう。」
やがてラジオ・トウキョウ放送「ゼロ・アワー」の女性アナウンサーとして原稿を読むことになったアイバ。その女性たちをアメリカ兵たちは「東京ローズ」と呼んだ。終戦後、アイバが行っていたことは、日本軍がおこなった連合国側向けプロパガンダ放送であったとされ、本国アメリカに強制送還され、国家反逆罪で起訴されてしまう。」
終演後、観客の一人が「厳しい人生だったな」と呟くのが聞えた。
全く同感で、自分がアイバだったらとても耐えられないと思う。
アイバが勤めていたラジオ・トウキョウを実質的に支配していたのは参謀本部に属する軍人(常石少佐)である。
したがって、彼に睨まれれば大変な目に遭うことは必至である。
そんな中でも、アイバはGIを音楽で励まそうとひそかに抵抗を試みていた。
ところが終戦後、彼女はアメリカにおいて「国家反逆罪」の罪で有罪とされ、約7年間服役することとなる。
どうやらこれは冤罪の可能性も高いのだが、彼女はあきらめることなくアメリカ国籍を求め続け、最後にはフォード大統領による特赦を勝ち取ったのである。
一連の事実経過を見ると、「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本とは異なり、アメリカ世論は「生きて、かつ反抗せよ」と命じているように見える。
つまり、アメリカ国民に対して「抗命義務」を課しているわけである。
これは、何となく、広田弘毅に対するGHQの厳しい見方に通じるところがあるように感じる。
「落日燃ゆ」を読んでいると、彼はほぼ戦争には加担しておらず、”冤罪”であるかのように思えてしまう。
だが、GHQはそのようには見ておらず、ジョージ・サンソムのように、軍部大臣現役武官制の復活を許した、つまり、極めて重要な局面で軍部への「抵抗」を怠った人物として、A級戦犯とされるのは当然という見方が強いようなのだ(時限爆弾)。
こうした「抗命義務」を重視する考え方は、私見では、どうもアングロ・サクソンのピューリタニズムと結びついているように思える。
そういえば、Wikipediaの「良心的兵役拒否」に、以下の記述があった。
「良心的兵役拒否の現代における思想は、「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」というプロテスタントのキリスト教信仰に起源を有している。それゆえに最初の拒否法の規定が、1900年にキリスト教のプロテスタント教国のノルウェーで紹介されたことは驚くべきことではない(デンマークとスウェーデンが1917年と1921年に後に続いた)。」
「抗命義務」は、神に対する義務という位置づけなのだろう。
そうすると、「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本の思考にも何らかの宗教的な基盤があるのかもしれない。