Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

11月のポトラッチ・カウント(2)

2024年11月20日 06時30分00秒 | Weblog
 「彼が他人の眼には明らかに狂乱したと見える様子で、イオカステの衣から黄金のピンを抜き取り、それを自分の眼に何度も突き刺したとき、かつてスピンクスの謎をも解き得たこの英雄の知性は、突然彼を襲った想像を絶するほどの苦患にもかかわらず、実は少しも曇らされてはいなかったのである。一見狂ったと見えたオイディプスは、実は狂ってはいなかった。不幸のどん底にあってもオイディプスは、なお「知る人」であり続け、知性によって状況を見極め、最善と判断される行動を、自らの責任においてとることを、一瞬たりとも止めなかったのである。神はたしかにオイディプスを、思いのままに動かした。だが世にも悲惨な境遇へと、神により不可避的に突き落とされながら、オイディプスはなお、矜持を失わず、彼に自由意志があり、どのような不幸も彼にそれを失わすことだけはできぬと、主張して止まぬのである。アポロンを持ち出し、人間がほとんど無に近いほど制限されていることを慨嘆したその口で、オイディプスは、「だが自分は自由であり、もっとも不自由に見えたあの瞬間にも、なお自由であった」と宣言する。アポロンが彼を不幸にしたと認めたそのすぐあとに、オイディプスの口から発せられた、「だが」この眼を傷つけたのは、他のだれでもない、この不幸なわたしの手だ」という叫びは、人間の尊厳の主張として、まさに千鈞の重みを持つと言えよう。」(p123)

 長々と引用してしまったが、大いに陥りがちな誤解、すなわち、「人間は神の意志=運命を克服することは出来ない」というのがギリシャ悲劇の最大のテーマであるという誤解から目を覚ましてくれる重要な指摘である。
 ライオスを殺したのは正当防衛だし、イオカステと結婚したのは自分の本当の両親を知らなかったからである。
 つまり、オイディプスは”無罪”である。
 それにもかかわらず、彼は殺人や母子相姦という「罪」の穢れを負ってしまい、絶望的な境地に追いやられる。
 だが、彼は完全に「不自由」=「無」となってしまったのではない。
 自分の眼を傷つけるという、神=運命を打ち負かすためのポトラッチが残されていた。
 究極のポトラッチは自殺であるが、オイディプスは死ななくとも同じ効果を得ることが出来た。
 これによって、彼は自分が「自由」であることを証明して見せたのである。
 というわけで、オイディプスによる自傷行為のポトラッチ・ポイントは、自殺と同等の5.0と認定。
 以上の次第で、「オイディプス王」のポトラッチ・ポイントは、15.0(=ライオス:5.0+イオカステ:5.0+オイディプス:5.0)。
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11月のポトラッチ・カウント(1)

2024年11月19日 06時30分00秒 | Weblog
 「ソポクレスによる、知らずのうちに近親相姦と父親の殺害に手を染めたテーバイの王オイディプスの物語『オイディプス王』、テーバイを追放され放浪の途にあるオイディプスの神々との和解とその生の終幕を描いた『コロノスのオイディプス』、そしてオイディプスの娘であるアンティゴネが兄弟の埋葬をめぐり、テーバイの王・クレオンと激しく対立する『アンティゴネ』。
 同じ時系列の神話をモチーフとしながらも独立したこの3作品を、船岩は「こつこつプロジェクト」の中で一つの戯曲として再構成し、現代における等身大の対話劇として創り上げました。

 「オイディプス王」、「コロノスのオイディプス」及び「アンティゴネ」は、同じ劇作家:ソポクレスが書いた作品であり、時系列で行くとこの順番となる。
 そういえば、こちらは複数の作家の作品であるが、「アルゴナウティカ」と「メディア」をドッキングさせるのも、同様の試みといえるだろう(3月のポトラッチ・カウント(3))。
 構成、上演台本、演出を行ったのは船岩祐太さんであるが、大きな特徴としては、① クレオンにフォーカスすることによって、家族だけではなく社会の在り方を考えさせるストーリーとなっている、② 会話劇として構成するため、コロスのセリフはカットする代わりに他の登場人物のセリフに割り振っている、ことが挙げられる。
 私の印象では、①は何とも言えないが、②は自然な流れとなっていて概ね成功していると思う。
 さて、1本目の「オイディプス王」だが、余りにも有名な戯曲なので、ストーリーは説明するまでもないだろう。
 まず、オイディプス王に殺されたライオス王は、我が子を殺そうとしたことの代償として命を奪われたのだから、ポトラッチ・ポイントは5.0となる。
 また、事実を知って自害したイオカステについても、元はと言えばライオスと一緒に我が子を殺害しようとしたのであり、いわばその報いとして命を絶ったのだから、ポトラッチ・ポイントは、やはり5.0となる。
 それでは、オイディプス王についてはどうだろうか?
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推しの演劇

2024年11月18日 06時30分00秒 | Weblog
 「・・・世のなかには学者と呼ばれる閑人もいて、この傑作はどういうプロセスで書かれたのかーーーなどという研究をしたがる。こちらの方面は、日本ではあまり熱心におこなわれていないけれど、海外諸国では作品研究の重要な課題だとされ、普通「生成批判」とよばれる。わたくしの知る限りでは、フランスがいちばん熱心なようで、そのために、原稿の類だけ専門に集めている図書館までがある。」(小西甚一「三島の霊気」)

 年に1回程度、ハイキングの帰りに、山中湖畔にある「文学の森公園」に立ち寄るのがこの10年くらいの習わしになっている。
 山中湖にゆかりのある芸術家や評論家などについて、催しが行われているのを見学するのである。
 徳富蘇峰館では毎回違ったイベントが開催されているし、三島由紀夫文学館では三島由紀夫の仕事部屋が再現されていたりして結構面白い。
 この仕事部屋で数々の名作が生まれたわけだが、意外なところでは、彼が生前愛用していた可愛らしいナマズの文鎮などもあり、見るだけで癒やされる思いがする。
 前者について言うと、「三島の推し」の戯曲は、一にも二にも「サロメ」である点が強調されている。
 そういえば、作家自身も、ある意味ではバプテスマのヨハネのような死に方をしたのであり、これについては、フロイト先生とラカンが的確に分析している(主体と客体の間(2))。
 さて、劇作家や評論家が選ぶ「推し」の作品は、「サド侯爵夫人」と「近代能楽集」に圧倒的に集中している。
 これは、どうやら世界的にも同じ傾向のようであり、今でもこれらの作品は世界のどこかで上演されているそうである。
 もっとも、「近代能楽集」を含む戯曲作品の上演頻度については、変遷があるようだ。
 以下は上演回数。

<1950-1970>
① 綾の鼓 14
② 鹿鳴館 9
③ 卒塔婆小町 8
<1971-1991>
① 卒塔婆小町 28
② 葵上 25
③ 班女 22
<1992-2008>
① 卒塔婆小町 43
② 班女 43
③ 葵上 31

 「卒塔婆小町」の人気が年を追うごとに増していることが注目される。
 この作品では「没落現象回避型」の思考(25年前(10))が扱われているところ、この思考がどんどん勢いを増していることの反映ではないかと思われる。
 ・・・ところで、私の「推し」の劇作家は、何といってもソポクレスである。
 というわけで、彼の作品を観に行くことにしよう!

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「主体」化、あるいはコッペリウスとプーチン

2024年11月17日 06時30分00秒 | Weblog
 「それでは、この授業全体のポイントになる、法の話をしたいと思います。法は、必ず主体を概念します。なにか、ものを持つにしても何にしても、一つの主体というものがあるわけね。われわれは一人ひとりが主体である。この主体が自転車を持つ。自転車は客体だ。
 しかし中でもこの主体[黒板を指す]は、複合的な構造を持っている。アントニオ、ブルーノ、そして自転車、という形をしている。そうすると主体とそれに属する物の関係はとってもやさしくなる。なぜかというと、主体の側が、アントニオとブルーノというようにそれ自体複合的になっていて、ブルーノはアントニオにとってとても大事だ。そしてアントニオはそのブルーノを通じて自転車と関係を持っている。ということは、例えば、面白くないことがあって自転車に八つ当たりしてぶっ壊す、なんてことはできないよね。ブルーノが傷つく。だかこそ当のそのブルーノをぶつなんぞは最低だ。そういう心理になるとどうしても自転車をとったりとられたり、粗末にし始める。
 「ある人がある物と関わっている、そこにどういう質があるか、ということに非常に意を用います。二人の人がある物に関わろうと争っているとき、ほかにどんな事情があろうとも高い質があるほうが勝ち、というプラスマイナスの価値づけをしていきます。しかも1対0の白黒をはっきりさせる。プラスのほう、1のほう、その人に占有がある、という言い方をします。現在という一瞬で切って、前後の事情を捨象して、ある人がある物をとってもいい状態で保持している、これが占有です。」(p119~121)

 映画「自転車泥棒」についての解説の中で、「占有」の概念が平易な言葉で説明されている。
 「客体」は、自転車に限らず、テリトリーであることもある。
 例えば、ウクライナの領土内に「緩衝地帯」をつくるという思考(ロシア ウクライナ領土内に緩衝地帯つくる考えを一方的に示唆)を例にとると分かりやすいが、これでロシアに「占有」が認められるはずがない。
 当該地域の住民は、そこを「緩衝地帯」などではなく、「住む場所」として「とってもいい状態で保持している」からである。
 ところで、「客体」(animusを持たないもの)との関係が「とってもいい状態」と言うのを超えて、異常なレベルに達しているケースもある。
 すぐ思いつくのは、「コッペリア」に出て来るコッペリウス博士である。
 彼は、フランツに眠り薬を混ぜたワインを飲ませ、酔っ払った彼から命を抜いて自信作の人形、コッペリアに吹き込もうとする。
 つまり、コッペリアという「客体」に animus を吹き込んで、「主体」化をもくろむ。
 こうなると、通常の「占有」とは次元の違う話になってしまう。
 私見では、プーチンもコッペリウス博士と似たような思考の持ち主で、ウクライナの領土に「永遠に無垢な・・・『ロシアの魂』」を見出してしまっているのではないかと疑われる。
 この思考のために、ウクライナの住民がフランツのような目に遭っているのではないだろうか?
 改めて、戦争で亡くなった方たちに合掌。

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「非『イエ』型集団」の解体

2024年11月16日 06時30分00秒 | Weblog
 「11月14日、アウトロー系インフルエンサーとして「X」フォロワー数は90万人以上を誇った「Z李」アカウントを運営するグループが警視庁暴力団対策課によって逮捕された。・・・
 「保護猫活動したり、ひとり親家庭を支援したり、悪質ホストと女性客の暴行トラブルを示談金で解決する活動をしていたことから、慕われていた一方で“ダークヒーロー気取り”とアンチや同業のチンピラから反感を持たれていた一面もあったと思います。 
 特に警視庁からはずっと狙われており2年前にもメンバーが逮捕されかけたことも。また、最近では匿名・流動型犯罪グループいわゆる『トクリュウ』にあたるとみて捜査されてたみたいです。まあ『トクリュウ』キャンペーンに上手くハマってしまったのかなという感じです」

 「ここで言うトクリュウとは、「匿名・流動型犯罪グループ」の略称で、警察庁が近年、「治安上の脅威」と位置付けている。グループの特徴としては、暴力団などの特定の犯罪組織に属しているという訳ではなく、匿名性の高いSNSでつながり、事件ごとに流動的に活動して犯罪行為に及ぶ。

 「トクリュウ」による犯罪のニュースが毎日のように飛び交っている。
 犯罪組織ではあるが、暴力団などの従来の犯罪組織とは異なる組成原理に基づく集団である点が特徴とされる。
 だが、私見では、この種の集団の組成原理は、2000年代以降の「振り込め詐欺」(特殊詐欺)グループと共通点が多いと思う。
 具体的には、
・上位者/下位者の階層構造
・メンバーは基本的に他のメンバーのことを知らない(匿名性)
・事件単位で組成され、離合集散を繰り返す(流動性)
・高齢者など孤立した人を狙う
といった共通点を指摘することが出来る。
 要するに、「トクリュウ」という目新しいワードに惑わされてはいけないのである。
 従来の特殊詐欺について言えば、これまで警察は、殆どのケースで「下位者」(出し子・下ろし子、受け子など)を検挙するにとどまり、「上位者」の逮捕までは出来なかった(と思う)。
 私見ではあるが、これに味をしめた集団が、現在では、詐欺どころか強盗殺人にまで及んでいるように見えるのである。
 一見して明らかなとおり、「トクリュウ」においては、”親子”や”兄弟”などいった「イエ」由来の紐帯(人間関係の模倣)による集団組成は行われていない(但し、上位者のメンバー相互間には”兄弟”的な紐帯がある可能性もある。)。
 大半は、単なる報酬(金)による集団組成である。
 だが、この「非『イエ』型」の金目当ての暴力集団」をどうやって解体するかと言う問題は、ほぼ手つかずの状態にある。

(生徒)---集団だったら、その集団をつぶせばいいのかなと思うんですけど、先生のお話しを聞いて、日本と海外とでは、児童虐待の考え方とか、変わってくるのかなと思って。日本の場合、家族でネグレクトが起きたり、学校の部活で体罰があったりとか、小さいところで人権剥奪がある。それはたぶん、親とか学校をつぶすということでは解決できないと思うんですよ。そういうのってどう考えるんですか。
(木庭先生)そうだね、大事な問題だね。大きなグルみたいなのを叩き潰せばいいかといっても、叩き潰しても叩き潰してもミクロのレベルでそういうのが出てきて、それをぜんぶ根治できないんではないか、という問題ね。これは大事な問題だと私は思う。このへんのことは研究がものすごく遅れていると思う。」(p125)

 やや文脈の異なる問題についてのやり取りだが、「グルを叩き潰す」ことが問題の抜本的な解決にはならないことが分かる。
 では、いったいどこに根本原因があって、どう対処したらよいのだろうか?
 言うまでもないが、これは、容易には答えの見つからない問題である。
 特殊詐欺の下位者の刑事弁護を結構な数担当してきた私のひとつの見解は、
 「子どもの育て方と中等教育に問題がある
というもの。
 というのは、少なくとも私の経験では、依頼者のプロフィールや性格が余りにも似通っていたからである(他人との距離)。
 もちろん、これは一つの答えに過ぎず、ほかにも、若年層の就職難や貧困化の進展、高齢者層における富の蓄積などといった社会的な要因もあることは間違いない。
 だが、「徒党に与しない」メンタリティーが確立していれば、「トクリュウ」などは発生しないのではないかと思うのである。
 
 
 
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曲の誕生、あるいは旅と水によるインスピレーション

2024年11月15日 06時30分00秒 | Weblog
 「第7番は一見したところ、彼のすべての交響曲の中で最も演奏の機会に恵まれない作品であり、多くの聴衆にとっては未だに何か謎めいた交響曲と映る。
 私はこれまでずっとその理由を解明しようとしてきた。なぜなら私自身は反対に、すぐにこの作品に恋をしてしまったから。
・・・
 この交響曲もまた夜の闇から生まれているが、第7番においては、第5番がそうであるように神秘や不可思議と戦うのではなく、むしろそれらを喜んで受け入れている。マーラーは、彼の選択を説明するために音楽以外の何かを語る副題を残すことはしなかったが、第2楽章と第4楽章につけられたタイトル「ナハトムジーク(夜の音楽) I&II」が我々に提示するのは、妖しく幻想的だが、だからといって恐ろしくはない存在たちの、夢のような世界である。

 演奏機会の少ないマーラー7番。
 ステージ上には溢れんばかりの奏者の皆さんで、ふだんの3倍近い人数ではないだろうか?
 もっとも、これだけの大所帯だと、第4楽章で登場するギターやマンドリンの可愛らしい音がほとんど聞こえないのは難点と言うべきだろう。
 さて、例によってロバート・マーコウさんの解説が面白い。
 
He later wrote to his wife Alma that as he was being rowed across the lake from Krumpendorf to Maiernigg,"at the first stroke of the oars the theme (or rather the rhythm and character) of the introduction to the first movement came into the head - and in four weeks the first, third and fifth movements were done."
(拙訳:彼(マーラー)は後に妻のアルマにこう書いている。湖を渡るクルンペンドルフからマイヤーニッヒ行の船の上で、「最初のひと漕ぎで、1楽章の冒頭部分の曲のテーマ(あるいは、むしろリズムと特徴)が頭に浮かんだ。そして、4週間すると、1楽章、3楽章と5楽章が完成したんだ。」

 マーラーは、作曲のインスピレーションを求めて毎年夏はマイヤーニッヒに滞在する習慣を持っていた。
 交響曲第7番は、引用したように、船の上で産声をあげたのである。
 私は、この解説を読んで、メーリケの「旅の日のモーツァルト」を思い出した。
 手元に本がないので確認出来ないが、モーツアルトが、旅先の公園の広場で噴水を見ていたある瞬間に曲が生まれたというエピソードがあったはずである。
 マーラーとモーツアルトに共通しているのは、
・旅先
・水
の2点である。
 ・・・というわけで、インスピレーションを得たい人は、旅行に行って水を見るとよいかもしれない。 
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フランソワとフランシス、あるいはクープランとプーランク

2024年11月14日 06時30分00秒 | Weblog
J.S.バッハ:フランス風序曲
イタリア協奏曲
               半音階的幻想曲とフーガ 
<アンコール曲>
フランソワ・クープラン:
1、La Morinete 
2、Seconde Courante
3、Rondeau

 曽根さんの60歳の誕生日に開催されたコンサート。
 「白寿(99歳)」ではないが、還暦祝いを兼ねているのである。
 チェンバロのコンサートではいつも感じることなのだが、チェンバロはやはりピアノとはまるっきり違うということである。 
 音色の点だけみれば、むしろハープに近い気がする。
 そういえば、ハープの音を聴くとなぜか「神聖」という言葉が浮かんでくるのだが、チェンバロ(英語ではハープシコード)の響きは「天上の音楽」を想起させる。
 バッハが書いたのも、大半はチェンバロ向けの曲なのである。
 さて、私にとっての本日の発見は、「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903」である。
 「あっ」と思ったのは、途中で、偽作が指摘されている「トッカータとフーガニ短調BWV565」そっくりの曲想が出て来るのである。
 ということは、BWV903が真正なバッハの作品なのであれば、BWV565もやはりバッハがつくったのだという推定がはたらくと考える。
 アンコールは3曲ともフランソワ・クープランの曲で、曽根さんいわく、
 「クープランだったら一晩中弾いていられる
 「これは私への誕生日プレゼント
とのこと。
 そういえば、ブーニンのお気に入りの作曲家は同じくフランスのフランシス・プーランクだった。
 全く違う時代の、作風も全く違う作曲であり、共通点はフランスの音楽家というくらいだが、日本人にとっては紛らわしい名前である。
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ショパン・コンクールの覇者(8)

2024年11月13日 06時30分00秒 | Weblog
ショパン:
  ノクターン第20番 嬰ハ短調 「遺作」
  ワルツ第9番 変イ長調 Op. 69-1 「告別」
  ワルツ第10番 ロ短調 Op. 69-2、他 
プーランク:
  3つの小品 作品48
R. シューマン:
  色とりどりの小品 作品99 より(1.2.3.4.5.6.7.8.11.12.13)
R. シューマン:アラベスク ハ長調 作品18
<アンコール曲>
プーランク:
  ノクターン第8番
ショパン:
  マズルカ Op. 67-4
J. S. バッハ(ヘス編):
  主よ、人の望みの喜びよ

 昨年(ショパン・コンクールの覇者(2))と曲目は半分近く重なっているようだが、タッチは格段に力強くなっており、順調に復調している印象である。
 プーランクがやや意表を突くが、

 「私が大好きなアール・デコ時代のフランシス・プーランクの三連作【Trois 
Pièces】を外すわけにはいきません。・・・
 アール・デコ時代らしい作曲家のキャラクターが良く出ています。
 あの頃のように私のピアにスティックな”青春時代”が響きますように。」(公演パンフレット)

とあるとおり、ブーニンのお気に入りの作曲家なのである。
 曲想は、とにかく楽しいタッチで、最後は「弾き逃げ」という感じの終わり方である。
 昨年も後半のプログラムに選ばれていたシューマンは、彼が9歳のころ、初めて人前で演奏したということもあり、特別な思い入れがあるようだ。
 締めの曲はやはりシューマンの「アラベスク」で、ショパンの「ソナタ3番」とか「バラード1番」というチョイスにしないのは彼の現在の心境をあらわしているのではないだろうか?
 アンコールは3曲という大サービス。
 最後の「主よ、人の望みの喜びよ」では、思わず涙する人もいたらしい。
 ちなみに、お客さんは、やはり”青春時代”にブーニンに熱中した人たちが多いようだが、男性がそこそこ(3割くらい?)いるし、若い人もチラホラいてやや意外だった。
 輝いていた過去を「適度に振り返る」のは精神衛生上良いらしいので、来年も行こうと思う。
 
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15人目の歌い手

2024年11月12日 06時30分00秒 | Weblog
  • J.オッフェンバック:『ホフマン物語』より

  • L.v. ベートーヴェン:『フィデリオ』より

  • P.I.チャイコフスキー 『エウゲニ・オネーギン』 より

  • G.プッチーニ:『蝶々夫人』より

  • G.ロッシーニ:『チェネレントラ』より

  • G.ドニゼッティ 『ドン・パスクワーレ』 より

  • G.プッチーニ:『つばめ』より

  • G.メノッティ 『霊媒』 より

  • J.マスネ 『マノン』 より

  • W.A.モーツァルト 『コジ・ファン・トゥッテ』 より

  • G.ビゼー『真珠とり』より
 使用言語をみると、
・イタリア語:5曲
・フランス語:3曲
・ドイツ語:1曲
・英語:1曲
・ロシア語:1曲
という選曲。
 昨年の「カルメル会修道女の対話」からも分かるとおり、研修所はフランス語を結構重視しているようだ(カルメル会と四十七士、あるいは殉教と殉死)。
 その理由は、昨日指摘したとおり、おそらくは「『語り』と『歌』」両方の発声法を習得しなければならないからではないだろうか?
 さて、若手の皆さんはさすがにトレーニングを積んでいるだけあって、フランス語の歌も滑らかに聞こえる。
 しかも、冒頭に「ホフマン物語」からの2曲を持ってきたのが正解で、一挙に笑いが起こってよいスタートとなった。
 やはり最初の曲は重要なのだ。
 「ホフマンの舟歌」以外はガラ公演ではあまり上演されない曲で、私などにとっては有難い選曲である。
 ちゃんと現代オペラからG.メノッティの「霊媒」を選ぶところもすごい。
 終演後に強く感じたのは、伴奏のマーティン・カッツさんが完璧なところ。
 ちょっと調べたところ、「現代最高の共演ピアニスト」と評されているらしい(アーティスト:マーティン・カッツ(ピアノ))。 
 「15人目の歌い手」は、この人だった。
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語りと歌

2024年11月11日 06時30分00秒 | Weblog
オペラ『連隊の娘』 作曲:ガエターノ・ドニゼッティ
 「舞台は、19世紀前半、ナポレオン戦争期のチロル地方。幼い頃に両親と生き別れ、アルプスの山で、フランス軍第21連隊に可愛がられて育った少女マリーは、かつて崖から落ちそうになったところを助けてくれた青年トニオと恋に落ちます。トニオはマリーとずっと一緒にいるため、第21連隊に入隊。しかし、そこにマリーの伯母を名乗るベルケンフィールド侯爵夫人が現れ、マリーは夫人とともにパリで暮らすことに。離れ離れになるマリーとトニオの行く末は……?

 先月の「影のない女」では東京文化会館にブーイングの嵐が吹き荒れ(10月のポトラッチ・カウント(9))、もしかすると「二期会のオペラにはもう行かない!」というオペラファンが続出したかもしれないところだったが、今回の「連隊の娘」は成功作といって良いだろう。
 日生劇場で上演される二期会のオペラは、コミカルで新鮮味があるという印象なのだが、やはりこれもそうである。
 同じドニゼッティの「愛の妙薬」とタッチが似ていて、コミカルな語りと美しいメロディーという取り合わせなので、「心地よい」感覚に浸ることが出来る。
 衣装(衣服の絵が描かれたボードを前に掛けるだけ)やダンスなどにも笑いを誘う仕掛けが施されており、結構”攻めた”演出なのだが、嫌味を感じさせない。
 マリー役の砂田さんは、ミラノ在住ということだが、声色・声量・演技力とも抜群で、野性味と可愛らしさを併せ持つ難しい役を演じきった。
 トニオ役の澤原さんは、当初配役されていた糸賀さんがアキレス腱断裂のため降板したことによる代役だが、時間不足など全く感じさせないパフォーマンスである。
 シュルピス役の山田さんは、ややフランス語にぎこちなさがあるようだが、体格(かなり大柄)で歌も演技も”隊長”にピッタリである。
 最も驚いたのは、ベルケンフィールド公爵夫人役の金澤さん。
 フランス語の発声がネイティヴ並なのである。
 それもそのはず、プロフィ―ルには、「国立パリ地方音楽院コンサーティスト過程修了」とある。
 ほとんど歌わず、「語り」だけの役だが、この配役で良いのである。

発音指導という仕事 大庭パスカル(公演パンフレットp26~)
 「フランス語の基礎は会話で学んでいましたし、私と2か月かけてディクションレッスンを行っていたので、研修生のフランス語はかなり上達していました。ピアノ稽古に入った時には、すっかり安心して自分の仕事はやり遂げたと思っていた程です。
 「気楽だった」と痛感したのはその時です。あれだけきれいに発音できていたフランス語が歌うとフランス語に聞こえないのです。なぜ?どうして?私の頭の中は「?????」でいっぱいになりました。今から考えれば当たり前なのですが、話す時の発声と歌う時の発声の仕方が違うので、正しい発音がわかっていても歌の発声にその発音を当てはめることができなかったのです。

 そう、フランス語の盲点ともいうべきところで、「語り」と「歌」では、発声の仕方がまるで違うのである。 
 私も、自分の耳がおかしくなったかと思うこともあるほど、ノン・ネイティヴ泣かせの言語なのである。
 
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