「振付・演出を手掛けたのは鬼才ジョン・ノイマイヤー。彼は原作の小説に立ち返り、主人公たちの恋の行方を追うだけでなく、その関係や心理の変化をダンスによって克明に描き出しました。原作と同時代のパリを生きたショパンの音楽が時代の香りを漂わせ主人公たちの心情に溶け合いながら、物語を雄弁に語りかけてくるのです。特筆すべきは各幕に配された、高度な技術と表現力を要するマルグリットとアルマンのパ・ド・ドゥ。第1幕は愛の芽生え、第2幕は白昼夢のような束の間の幸福な浮遊感に満たされ、第3幕は壮絶なほどの憎悪を燃やすことで絆を確かめる恋人たちの葛藤が描かれます。とくに〈バラード第1番〉にのせた慟哭が聞こえてくるような第3幕の通称“黒のアダージョ”は、ガラ公演でもたびたび演じられる名ピース。また劇中劇「マノン」がマルグリットの心の鏡となり、恋人たちの運命の前兆として作品全体に通されているのもノイマイヤーの冴えわたる仕掛けです。」
1幕が終わった後、右側の廊下でノイマイヤーがD.タマシュ芸術監督と何やら英語で話しながら楽屋に向かっていた。
二人ともドイツで活躍しているが、出身はアメリカ(ミルウォーキーとニューヨーク)であり、母語は英語なのである。
さて、ヴェルディの「椿姫」と言えば、私はこれまで"あらさがし”(傑作の欠点)ばかりしてきた。
実際、欠点が多く見つかるのである。
だが、ノイマイヤーの「椿姫」には、欠点がなかなか見つからない。
まず、ショパンの音楽のチョイスが抜群である。
「肺結核が原因で亡くなった」ところがマルグリットと共通しているので選ばれたようだ。
曲想やメロディーを論じる前に、まず動きが音にピッタリ”はまって”いる。
ノイマイヤーのほかの演目だと、曲想とコリオの間に違和感を感じたり、何より安易に録音音源に依存するところが目立つのだが、今回はそうした問題は完全に払拭されている。
その理由は、オケ&ピアノが生演奏だからというだけではなく、やはり、作曲家=ショパンが「抽象度の高い音楽」を好んで作ったからではないかと思う。
「ショパンはロマン主義の音楽家仲間の「音楽と文学、絵画との融合」という考え方とは一線を引いていた。自分の作品が文学的あるいは絵画的に解釈、表現されることを嫌い、標題的なタイトルをつけられることを嫌がった。」
ショパンは、自作の曲に標題を付けられることすら忌避するくらい、音そのもの、そして器楽性を重視していた。
したがって、音楽としては抽象度が高くなるのだが、このことは、他方においてコリオによる表現の自由度を高めることにつながる。
次に、構成面では、バレエ版の「マノン・レスコー」を劇中で演じさせるという、「劇中劇」ならぬ「バレエ中バレエ」の場面を取り入れているところが巧みである。
これによって、マルグリットはマノンに、アルマンはデ・グリューに、それぞれ自分を重ね合わせることとなる。
なので、マノンが息を引き取った直後、その手を掴んで離すまいとするラストのマルグリットの姿が強烈な印象を残すわけである。
さらに、内容面では、ヴェルディがオミットしてしまった「オランプ嬢とのイチャイチャシーン」(というか、ノイマイヤー版ではベッド・シーンも付いている)と、その後の”黒のアダージョ”をピークに持ってきたのが秀逸である。
これだと、原作者(デュマ・フィス)からも100点満点をもらえそうだ。
この長い小説は、ピークを捉えるのが難しいのだが、実は、「アルマンが当てつけにオランプ嬢とイチャイチャした後の、マルグリットとの再会」にそれがあったのである。
「原作を読み、反芻すれば、アルマンはマルグリットが実際には自分を愛し続けていることを知っているのであり、だからこそ拗ねてみせもするわけだが、アルマンは自身のそういうところに気づこうとしないのである。これこそロマン主義小説の神髄であり、それは遠く漱石の『彼岸過迄』などにまで流れているわけだが、この微妙な心理劇を舞台化しているのはバレエだけであることに注意しなければならない。」(公演パンフレット「シュツットガルトの奇跡は続く」三浦雅士p38)
こうしたアルマンの一見矛盾した自己破壊的な言動は、例えば、「風と共に去りぬ」における
「自分ではなくメラニーを選んだアシュレーに対する当てつけとして、メラニーの兄チャールズと結婚したスカーレット」(当てつけ結婚)
にも似ている。
だが、(世代にもよるが)日本人にとって分かりやすいのは、私見では、「スラムダンク」における三井寿の、
ではないだろうか?
三井は、怪我をしていた間もバスケがずっと好きだったのだが、その思いをひたすら抑圧し、そればかりか、不良集団とつるんでバスケ部員に暴力(当てつけ暴力)を振るっていたのである。
要するに、「バスケ」を「マルグリット」に、「不良集団」を「オランプ嬢」に置き換えて考えるとよいのである(そうすると、マルグリットの喪服は安西先生?)。
・・・というわけで、結局「欠点」が見つからなかった!