ニュースでは浅間山が小噴火したとか
少し不謹慎だけれど浅間山で思い出すのは
詩人、立原道造のこと
確か彼は軽井沢に避暑に来ていて
「火の山」と浅間山のことを詠んだ(ような気がするが)
しかし、あの若々しい、柔らかな、そして静かなソネットに
誘われて軽井沢に旅したときは
そこは自分の思っていたイメージと随分違っていた
初期の童話に近いような詩も、畢生の傑作
「のちの思いに」、「はじめてのものに」なども
そこに詠われる風景は、軽井沢というよりは、
スイスのそれこそハイジの住んでいたような風景が
ふさわしいような気がしてならない
いや自分は始めからそんな風景をイメージしていた
水車小屋も日本風よりは外国のもの
小川も雲もその色はくっきりして、どこか重い感じのする
日本の風景ではなかった
この感覚は、西脇順三郎の「あむばるわりあ」を読んだ時には
確かにギリシア的叙情を感じることができたので
そんなに間違ったものではないだろう(と思うのだが)
ま、どうでもいいことかもしれないが
容易にスイスやギリシアの風景を思い浮かべることのできた
昔はもう戻ってこない
仕方ないが、少し残念!
少し不謹慎だけれど浅間山で思い出すのは
詩人、立原道造のこと
確か彼は軽井沢に避暑に来ていて
「火の山」と浅間山のことを詠んだ(ような気がするが)
しかし、あの若々しい、柔らかな、そして静かなソネットに
誘われて軽井沢に旅したときは
そこは自分の思っていたイメージと随分違っていた
初期の童話に近いような詩も、畢生の傑作
「のちの思いに」、「はじめてのものに」なども
そこに詠われる風景は、軽井沢というよりは、
スイスのそれこそハイジの住んでいたような風景が
ふさわしいような気がしてならない
いや自分は始めからそんな風景をイメージしていた
水車小屋も日本風よりは外国のもの
小川も雲もその色はくっきりして、どこか重い感じのする
日本の風景ではなかった
この感覚は、西脇順三郎の「あむばるわりあ」を読んだ時には
確かにギリシア的叙情を感じることができたので
そんなに間違ったものではないだろう(と思うのだが)
ま、どうでもいいことかもしれないが
容易にスイスやギリシアの風景を思い浮かべることのできた
昔はもう戻ってこない
仕方ないが、少し残念!