パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「霞ヶ関埋蔵金」 

2009年10月13日 19時59分26秒 | 
菅 正治著  新潮新書

正直なところ、途中から何がなんだか分からなくなってきた
難しい内容というより、覚えきる前に似たような
いろんな項目が次々に現れて、どれがどうだったのか
残念ながら1回流し読みしただけではわからない


霞ヶ関埋蔵金とは
地方自治体で行われているような裏金のような
隠している金額ではなく
積み立て金とか剰余金の類いなのだが
始末に悪いのは、これが自由に使えるか
と言えばそうではないタイプの資金の事
(勿論自由に使われては困るものもあるが)

ただ緊急の時のためとしても
そのためておくべき金額の数字の出し方には何の根拠もなさそうで
ここ数年やら、過去の事例を参考にしても
それほど貯めておかなくてもいいものも
前例にしたがって改める事なく延々と続いているようだ

法律とは全くもって不自由なもので
いくら余ったところで別の項目に使えない様になっているものもあったり
官僚が協力をしないために
使えるものも使えなくなっている事も多いようだ

確かに容易に民間と同じ様に考える事はできないかもしれない
しかし、それでもやはり民間の調査機関が入って
剰余金、積立金が適切な額かどうかは調べる様にした方が良さそうだ

そして大事なのは、その事をもっと大きな声で公にする事

マスコミは埋蔵金という言葉の響きから
徳川埋蔵金やら武田埋蔵金みたいな際物みたいに扱うのではなく
キチンと、どうあるべきかを冷静な議論をする場所を設けて
広く現在の状態を知らせる事が必要なのでは!

官僚の人々は今は皆がみんな悪人みたいな印象を持たれているが
そうでない人も大半だろうし
そもそも入ったばかりの人は国を支えるような
気概を持っていたに違いない
それがいつの間にか、、、

それにしても不測の事態に向けて
しっかり貯め込んでおくというのは
もしかしたら農耕民族のDNAのなせる技かもしれない
だとしたら必要以上に積み立てておいたり繰り越したりするのは
仕方ない事なのかな

心配症な時間をキチンと守る日本人は危機に対して
よい意味でも悪い意味でも過敏すぎるのかもしれない
もう少し、何とかなるさ!
くらいに考えた方がいいのかも

と言いつつも、そういう自分も用心深くなっているのが
本当のところだが、、、


コメント
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