最近、(いわゆる)いい話とか為になる話、
正しい心の持ち方、人生の目標の設定の仕方、
継続的な努力の大切さなどを説いた話に
素直に共感できない自分がいる
そうした話はどこかに「嘘」が隠れているような気がしてならない
それは単純に精神が感情をコントロールできる
ものとして決めつけているからかもしれない
(感情と理性が戦えば勝利をおさめるのはいつも感情の方なのに)
いい話、為になる話
確かにその通り
でも、出来ないなあ
(したくないなあ)
そのどこかサボりたがる、面倒臭がる気持ちの存在が
無いのだろうかと疑問に思ってしまう
モーツァルトの歌劇「魔笛」の登場人物
パパゲーノは直情的に試練に向かおうとするパミーノに
そんな危険な面倒なことは止めようと訴える
人が見ていない時、手柄は自分のモノとしようとする
どこかに可愛い恋人が見つからないか
と安易に想像したりする
しかし、自分はリアリティーと共感できる点で
圧倒的にパパゲーノの肩を持つ
人間ってそんなものじゃないのか
だからこそ愛すべき存在なのではないのか
そんな風に考えてしまうのだ
話はかわって、ヴァーグナーのトリスタンの破滅的(真面目)な
心情も違う意味で共感してしまう(音楽の力のせいか?)
第3幕の前奏曲とイングリッシュホルンの寂しげなメロディは
トリスタンの心象風景か
つまりは自分の共感は
いい加減な人物と真面目な人物の両方に
向かっていて、それを一般化するならば
人の心は振り幅が大きいということで
サボりたい自分と克己心に燃える自分とが
共存するということ
だが表に出る言葉は社会との関わりで
正しいとされるどこか余裕のない(?)ものばかり選ばれる
あまり好きでなかったニーチェも
定番的な良い話に潜む嘘じみたものを感じ取っていたのかも
こんなふうなのは疲れているせいなのか?
動物では強いライオンや虎よりもパンダを
自分は愛おしく思う
それはパンダがドジだから
それを見て安心できるからだ
ドジな人間、動物、存在を
まともな人間だけの価値判断で
決めつけてしまっていいものだのだろうか
正しい心の持ち方、人生の目標の設定の仕方、
継続的な努力の大切さなどを説いた話に
素直に共感できない自分がいる
そうした話はどこかに「嘘」が隠れているような気がしてならない
それは単純に精神が感情をコントロールできる
ものとして決めつけているからかもしれない
(感情と理性が戦えば勝利をおさめるのはいつも感情の方なのに)
いい話、為になる話
確かにその通り
でも、出来ないなあ
(したくないなあ)
そのどこかサボりたがる、面倒臭がる気持ちの存在が
無いのだろうかと疑問に思ってしまう
モーツァルトの歌劇「魔笛」の登場人物
パパゲーノは直情的に試練に向かおうとするパミーノに
そんな危険な面倒なことは止めようと訴える
人が見ていない時、手柄は自分のモノとしようとする
どこかに可愛い恋人が見つからないか
と安易に想像したりする
しかし、自分はリアリティーと共感できる点で
圧倒的にパパゲーノの肩を持つ
人間ってそんなものじゃないのか
だからこそ愛すべき存在なのではないのか
そんな風に考えてしまうのだ
話はかわって、ヴァーグナーのトリスタンの破滅的(真面目)な
心情も違う意味で共感してしまう(音楽の力のせいか?)
第3幕の前奏曲とイングリッシュホルンの寂しげなメロディは
トリスタンの心象風景か
つまりは自分の共感は
いい加減な人物と真面目な人物の両方に
向かっていて、それを一般化するならば
人の心は振り幅が大きいということで
サボりたい自分と克己心に燃える自分とが
共存するということ
だが表に出る言葉は社会との関わりで
正しいとされるどこか余裕のない(?)ものばかり選ばれる
あまり好きでなかったニーチェも
定番的な良い話に潜む嘘じみたものを感じ取っていたのかも
こんなふうなのは疲れているせいなのか?
動物では強いライオンや虎よりもパンダを
自分は愛おしく思う
それはパンダがドジだから
それを見て安心できるからだ
ドジな人間、動物、存在を
まともな人間だけの価値判断で
決めつけてしまっていいものだのだろうか