パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

イメージの中の竜安寺石庭

2015年07月28日 20時02分40秒 | あれこれ考えること

竜安寺関連の本を図書館から借りて読んでいると
誰もが感じる感覚について書かれていた
それは、想像したより小さかったと言う感覚

実は自分も初めて見た時はそう思った
こんなものか、と
ところが先日何十年ぶりの対面は全く別の感覚を持った
意外に大きい
特に手前の白い部分が

なぜそんな風に感じたのだろう
普通は二度目は感動が薄くなる
二度目と言ってもずいぶん間隔が開いているから
初めてみたいなものなのかもしれないが

思いの外大きいと言う感覚は
ずっと眺めているとますます大きなものとなるような
幻覚に襲われそうだった

寝転がって読んでいた本の中に
西行のあの有名な歌
「願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」 
のことが書かれていたが、その刹那
月の光に照らされた石庭が頭に浮かんだ

何年か前に月光浴と言う写真集があったが、
そこで見られたような神秘的な風景、
特に白い石を月が照らしておぼろげに岩のカタチを浮かびう上がらせている
月は真上から照りつけているが音はしない
なんという迫力のある美しさ、
本物よりも美しいかもしれない
と思ったりした

イメージの中の美しさ それはほかにもある
古池や蛙飛び込む水の音
この俳句は、ポチャンとかわずが飛び込んだ後の静寂は
日本人ならなんとなく分かる感覚だし
西行の
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ  
これはやはり、パタパタと飛び去った後の静寂を想像すると迫力がある 

そしてこれらはイメージの中にこそ美しさが存在するように感じてしまいそう

などと、どうでもいいことを(?)
あれこれ頭に浮かべてはいたが、
それにしても月に照らされたイメージの中の竜安寺の石庭 
きれいという言葉では追いつかない何かがある 

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LLとM

2015年07月28日 13時05分59秒 | 徒然なるままに

LLサイズとMサイス
卵のサイズのことではない

先日売り出し中の洋品店にTシャツを買いに行った
そこで出た会話が
「LLですよね、多分」
ジロッと見て、
「多分そのほうがよろしいかと思います」

ユニクロで買う時も自分のサイズはXOでないと
窮屈過ぎる
確かに健康診断のBMI値も好ましいものではない

でも、一昨年ドイツのミュンヘンのカールシュタットで
半袖のカッターシャツを買った時は 
「あなたのサイズはMですね」
と言われて、ちょうどよいサイズの半袖シャツを手に入れた

ドイツならM
日本ならおデブのLL

元々の骨格が違うということなのだろうが
本当に向こうの人は大きい
トイレも男子用は高いところにあるし
バスタブはデカイし
電車の椅子も一等は横幅ゆったり
それにホテルのベッドも上下左右とも余裕ある
それから食事の量は一皿を日本人では持て余してしまいそう 

VWのゴルフが大衆車と言いながら
モデルチェンジする度に大きくなっていくのは
ドイツ人の体格を考えると分からないでもない

と言っても、自分は日本人
ドイツならMといって自分を慰めても仕方ない
少し走るとお腹のあたりに重さを感じてしまう
やっぱり痩せないとダメかな

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