数日ぶりに新城市の庁舎見直しについての話題
実務協議は毎週開催、計5回行われる予定だったが、前回の第3回でそれなりの進展があり、
今までの討論を整理するための時間を確保することになり、今週行われる予定だった4回目は中止、
29日での防災センターで行われるものが最後となる。
自分としては無駄な混乱を招きたくない気持ちもあって、多少偏りがあったとしても出来る限り実務協議の進行状態を伝えるつもりでいた。
多くの市民はこの実務会議が行われ、公開に至った時点で住民投票を行った価値があったとか民意が反映される案が市側から提出されるものと思っているかもしれない。
しかし、この実務協議は何回か述べているように、求める会の案の検討に時間をかけている割には3階建て30億の実現を目指すための現実的な協議ではない。
市側からは何度も市の方針としては6月5日の市長の発表通り、付替道路なし、東庁舎活用、規模縮小7000平米程度が計画案で、
求める会のスタッフにも協議に参加してもらっている。求める会の案は検討・参考にするといった扱いと説明している。
求める会側は市側がそのような対応で来ることを想定し、住民投票結果を受けての、、の言葉、
つまり民意の共通認識を持つために市長(行政側)・議会に民意とは3階建て30億であることを請願書・要請書を提出している。
そして市長のそれに対する反応は、求める会の民意の定義を否定していない。これは市長後援会の主催の公開討論会でも明らかにされた。
しかし、この言葉は微妙に使い分けられている。行政の立場としての実務協議のスタッフはそのような認識はない。
(それは誰の意向を受けたものか?)あくまでも住民投票は付け替え道路の有無、東庁舎の活用、規模の縮小を問うたもので、
3階建て30億の選択を反映したものではないとしている。
まだ明らかになっていない市側の計画とは、どうも4階建て7000平米らしいことが山崎氏のFACEBOOKに書かれているし、
それはある程度想像がつく。求める会側は、4階建て7000平米でなくても、3階建て30億でも充分であるとの姿勢を
具体的に示すために実務協議に参加している、そして市側も一応は求める会側の話を聞くようにしている。
表立った行動に隠された意図などを想像で語るのは個人的には好きではないが、
それでも以後の理解を円滑に知るためにはある程度のこうした理解の仕方は必要になるかもしれないので、少し意地悪な想像をしてみる。
実務協議に求める会が参加することになった時点で、今までの庁舎建設の案を否定された形の当事者は心情的に面白く無い。
そこで実務協議の場所に出席を依頼し、市民案なるものの不備・欠点をついて、「市民案はこんなにまずいことばかり」と公にしたかった。
その一つが進入路の問題、大型車両の誤進入の場合に頭から進入路から出るためには向きを変えるスペースが必要で、
市民案では庁舎面識を確保できないとしてきた。
ところがこの問題は車の切り返しで出ることにすれば可能ではないかとの求める会の提案に、この点で市側が攻める(?)事はできなくなった。
そこで次に出してきたのがあふれる机・ロッカーの問題。求める会側の案で机を配置し直すとどうしても面積が不足して入りきらない幾つかが出てくるというもの。
設計の具体的な内容について設計の専門家ではない求める会に、解決策を求めること自体がどうかと思うが、
(設計屋さんならいくつかの解決策があるかもしれないのに)意地悪く(?)聞くだけで、自分たちならこうすると言う意見や案はない。
求める会はそれでも誠実に対応しようとする。本当に配置しなおしてみると入りきらない机やロッカーが存在するのか。
解決策はないものか。図面をかけるスタッフがあれこれ考える。そうこうするうちに参考すべき資料が見つかった。
それは新城市と同じく庁舎建設に取り組んでいる高浜市の例。高浜市は人口が新城市と同じくらい。
それだけで大いに参考に出来る対象だがその資料を見る限り、庁舎の面積はグッと小さい。
そしてその配置図も無駄がなくてリーズナブル。この案をところどころ適当すれば必ずしも机やロッカーが入りきらないということはなさそうとなる。
ところで、問題は市側が投げかけてきた求める会側の案の不備等に、きちんと解決策を提出したとしても、
判断するのは市側であるということ。求める会がこれなら出来るはずと答えを出しても、それを採用するかどうかはわからないということ。
住民投票を行い結果が出た以上、責任は行政側だけでなく求める会側にもある。
この責任を全うするために求める会は、選択肢2で掲げた内容の実現のために市側からの指摘にも真摯に答えるようにしており、
また多くの市民に経過を知ってもらうために公開を条件に実務協議に参加している。
そして自分たちの案の実現の妥当性を公にする。
しかし、それを市側は認めないかもしれない。
それも実務協議が終わった時点で一方的な説明によって。
実務協議で市民側の案の不備等は追求されたが(答えも出したが)市側の案は出ていない。
市民側が住民投票で選択肢2を選んだ人たちの心情をバックに、市側の案を批判しようとしても今度はそれを批判する場所がないし時間もない。
ならば実務協議は一体何だったのか?ということになるかもしれない。
実務協議はしました。市民案を検討・参考にしました。しかしカクカク・シカジカの理由で採用はできませんでした。
市民から出された問題の解決法は私達の解釈と違っていて現実的なものではないと考えます。
だから我々は我々がベストと思われる案を推進していこうと思います。なお市民案の~~はこの計画に生かされています。
こんな言葉を心配症な自分は想像してしまうが、それが単に個人の杞憂に終わらない可能性がありそうなところが悲しい。
住民投票が行われるに至った経過、市民によくわからないうちに進んでしまっていった経過、
それがまた繰り返されそうな雰囲気がある。実務協議というアリバイは存在する。
しかし決断は行政のみ権利事項、自分たちにとって都合のよいところの住民投票結果を踏まえるだけで、
肝心なところは(お金のこと)は何か理由をつけて進めていく。
お金のことは解釈の違いで様々な意見が存在しますが、誰かが決めないと前に進まないので行政として決断しました。そんな説明をする姿が浮かぶ。
でも本当はお金のことが無視されたら住民投票の結果を受け止めていないことになると思うのはきっと自分だけではない。
今までダラダラと述べてきたことは、そうあってほしくない事態のこと。
心配症な市民が偏った考えのもと想像したこと、そんな笑い話で終わればいいのだが、もし当たってしまったら、、、、。