無駄な混乱や感情的なしこりを残さず、誰もが納得できる庁舎ができる様にと、(少しは偏見があるかもしれないが)おとなしく見守ってきたつもりの実務協議。その実務協議が少しおかしなことになりつつある。
市長からの要請もあって市民側の代表を二人送って開かれている「住民投票結果を受けての新庁舎見直し実務協議」
この住民投票の結果を受けての、、、のくだり、市民側は共通認識を持ってもらうために市議会と市長に請願書・申請書というかたちで「民意とは3階建て30億」のことであると伝えてきた。
そこで市長は明確な否定はしなかった。
つまり少なくとも3階建て30億は民意の一つと認めている。
さて実務会議に入ると、冒頭から市の(行政の)計画は6月5日に発表された付替道路なし、東庁舎活用、大幅な規模見直し7000平米程度であると説明された。道路と東庁舎活用は問題がないとしても、9000平米からは減ったというものの7000平米という数字がまたひとり歩きし始める雰囲気になっている。
実務協議は市民側から二人参加しているが、住民投票の結果を受けてとの言葉があるものの主導権は行政にあって、市民案は参考・検討をする程度の扱いという説明がなされた。さすがに露骨に市民案をないがしろにはできないので、今度は市民案のお伺いということで、いろんな質問を投げかけてくる。
その一つが出入口の問題。体育館前を四差路の交差点にするためには以前に説明したように様々な制限がある。
この交差点の活用は市民案として、そして警察からも総合的に見れば他の出入口よりも安全とみなされるところ。ところが一般論で警察に問い合わせれば警察は一般論で答えるしか方法はなく、容易に肯定の判断は出し難い。
話は遡るが、あの評判の悪い危険な付け替え道路は、計画時に公安から11箇所の危険の指摘を受けている。どちらかと言えば公安としては認めたくないが、市道なので、そちらがどうしてもやるというなら仕方がないと判断した過去がある。つまり、個別対応によっては例外事項もありうるかもしれないということ。この交差点進入の問題となるのは、大型車がご侵入した時の対応に困るからで、実際には大型車両が今まで市役所に進入した経歴はないらしい。先日の大型車の回転の軌跡の図を見てフト思い出したが、あの大きな回転半径では住民投票でも問題となった付け替え道路の急激なカーブが曲がれたのだろうか?
選択肢1の説明会の時に、付替道路に大型車が侵入した時に、入れるのですか?と質問した人がいたが、その時は、そんな仮定としての話、非現実の話には答えられないと答えていた。
大型車両の侵入は過去を見ても現実的ではないし、可能性は低そう。それに警察も他の進入路と比較すれば総合的に一番安全とも答えているとのこと。
さて話は変わって市民案とは別に進める行政案、付替道路なしで東庁舎活用だからどうしても体育館のところに建設することになる。そして進入路が体育館前のところからできなくなると、おもいやり駐車場は庁舎の近くにできないことになる。つまり、今市民案の不備を追求しているように見えることも、いざ当事者となれば行政案も対処に困ることとなる。
冒頭におかしな方向になりつつあると言ったのはこの事。行政案は実現可能な案を実現に向けて必至に取り組むべきなのに、何故か他人事のようで、今は当事者ではなく市民案を批評家の立場で見ているだけの様に見える。
(進入路の問題がここまで大きくなるとしたら、そもそもこの場所に新庁舎を建設することが良かったのか、バイパスと言う手はないのか!とまで遡っての議論も出つつある)
現在、国立競技場の建設を巡ってあれこれ報道されているが、あのニュースを新城市の庁舎と関連付けて(連想して)考える人は少なく無いだろう。今朝会話を交わした人もそのうちの一人で、「なんか、そっくりですよね」と笑いながらの言葉。そして次のように続いた「だれも作っちゃいけないとは言っていない。でも程度があるよね」
これはまさに新城市の庁舎の問題そのもの、本当は5階建て50億とか3階建て3億のどちらが良いかということではなく、つくるのは良いけど後々の財政とか他に振り向けるべき予算の使い方があるので、ほどほどの(身の丈にあった)ものをつくるべきと住民投票が結論を出したということ。
この本質的な意味を解釈しないで、今行われているのは、またもや庁舎の正当性のことばかり。肝心なのは身の丈にあったものを、どのようにつくるかを行政が必死になって取り組むべき。その意味では実際に設計依頼できる立場の行政は、求める会の代表の要求通りに、山下設計に民意である3階建て30億の目安で基本設計の発注を行うべきではないのか。市民案は参考・検討材料というのは余りにも軽く考えていないか。
もっとも市職員は自分の判断で好き勝手に行動はできないから、結局は誰かの指示に従っているのだろうが。
専門家ではない素人にいろんな専門的な問いを発し、困った姿を、ほら市民案はこんなにダメでしょう!と上から目線で見るのは行政の姿としてはどうなのだろう?何度も繰り返すが、行政は市民から選ばれた選択肢を必至になって良い物にするように努力すべきではないのか。
でも本当のところ、こうした事態は想像できなかったことではない。市民案の不備をついてきて行政案がまとも!(7000平米になっても)と話を進めようとするのは、自分が相手側の立場だったらとったかもしれない手段。
今回少しばかり悲しいのは、見直しの実務会議がこうしたトーンに変わりつつある事。みんなが納得する庁舎を、ところがあったりして市民の望むようになっていない。
市職員はさすがに言葉の世界に慣れていると思うことがある。長年培ってきた知識や思考方法は、市民の思いつきに近い発言の不備を鋭く咎めることができる。反対に何かを言われたら言葉の定義の限定制を最大限利用して素人にはわからないようにする。この言葉の世界、この実務協議で都合よく使われてしまいそうな言葉に「一棟集約」と言う言葉がある。市民側はなるべく市民に関連する部門は新庁舎に、あまり市民に用事のない部門は東庁舎を配置することを望み、それはある意味で一棟集約的な要素があると述べたが(これは住民投票の選挙運動の時も話された)都合の良い解釈をすれば、市側は当初の一棟集約の案を市民も認めたと公言してしまいそう。そして何でもかんでも新庁舎に入れ込んでしまうように進める根拠としてしまいそう。こういう場合はワンフレーズではなく、文脈で捉えるべきでこの論法を使わせないことが必要となってくる。
でもこんな心配をすること自体が、不信感からスタートしているようで残念だ。いつから新城市はこんなふうになってしまったのか?
以前からもそうだったのか?
気づかなかっただけなのか?
それとも新城だけでなく、どこでも見られることなのか?
きっかけは単に新庁舎の適正規模についてだけだったが、いろいろ経験するうちに問題はいたるところに満ち溢れていることに気付かされた。それは年齢を重ねないとわからないものだったかもしれないが、知ってしまうとこの現実は少し悲しい。
ところで、この実務協議を傍聴している一部の市議が、積極的な解決案ではなく、まるで住民投票で負けた腹いせとしか思えないような発言をウエブ上でしている姿を知ることになったが、これは本当に残念なことだ。