先日自分のブログのコメントに「プロ市民」の言葉があった
初めて目にした言葉だし、その人の造語かと思い
わからないままにしておいたが、ネットで調べると
既に「プロ市民」と言う言葉は世に存在していた
ウィキペディアによると
- 「自覚・責任感を持つ市民」(=プロ意識を持つ市民)を意味する造語。
- 一般市民を装い市民活動と称しているが、実質的には営利目的または別の目的を持つ政治活動家を指し、その行為を批判する際に用いられる2ちゃんねる用語。
とある(もっと詳しい解説はあるが)
1は好意的な捉え方、2は反対にそうでない方の捉え方
世の中にはいろんな言葉や概念が存在するものだ
と改めて再確認
と改めて再確認
新城市では人任せ民主主義からの脱皮して、市民が参加する(監視する)
運営をしたほうがより良い地方自治が可能なのではないか
との考えが、市庁舎建設の見直し、産廃業者進出阻止の活動を行ううちに
自然発生的に起き上がってきた
運営をしたほうがより良い地方自治が可能なのではないか
との考えが、市庁舎建設の見直し、産廃業者進出阻止の活動を行ううちに
自然発生的に起き上がってきた
確かに、実感としてそのような活動となったほうが好ましい
これは直感的にそう思う
これは直感的にそう思う
しかし、「衆愚政治」とか「大衆の反逆」とか「ポピュリズム」に代表されるように
(これらの言葉の使い方があっているかどうか心もとないが)
素人の政治(行政)参加は多少の危険性があるのも分からないではない
(これらの言葉の使い方があっているかどうか心もとないが)
素人の政治(行政)参加は多少の危険性があるのも分からないではない
大衆が常に正しい選択をするかどうか
ドイツの憲法改正の際に、国民の総意としての
意見を取り入れないのは、「集団のなす非合理性」を深く認識しているため
とあったが、これは勢いとか雰囲気で判断されがちな危険性を考慮したものと
考えられる
ドイツの憲法改正の際に、国民の総意としての
意見を取り入れないのは、「集団のなす非合理性」を深く認識しているため
とあったが、これは勢いとか雰囲気で判断されがちな危険性を考慮したものと
考えられる
ところで、話を一般論から一地方都市に戻していくと
この今行われつつある市民活動が悪い意味での「プロ市民」の活動か
と考えると、そうではないのではないか
この今行われつつある市民活動が悪い意味での「プロ市民」の活動か
と考えると、そうではないのではないか
特に解説の2にあるような、一般市民を装い市民活動と称しているが
実質的には営利目的または別の目的を持つ政治活動家
というのには、新城市の市民活動をしている仲間には当たらない
自然発生的に増えていった仲間、
一人ひとりの顔は時間が経過するうちに見知っていっても
その人の仕事がなんであって、どんな立場の人かも知らないで
それもそんなことに対して気にしないで活動している
しかも、自らのお金をカンパとして提出し、時間も費やして
そして自分自身への充実感をもって
それは単純に善意の市民活動の団体であると評価したほうが
正しいのではないか
住民投票の選択肢2を選んでもらう活動をした時も
説明会へは選択肢1を推す方の来場を拒否はしなかったし
そうした方への説明も丁寧に行い、無理やり自分たちだけが
正しいとの説明はしなかった
(一方、違う活動をされた方々は、、、)
一人ひとりの顔は時間が経過するうちに見知っていっても
その人の仕事がなんであって、どんな立場の人かも知らないで
それもそんなことに対して気にしないで活動している
しかも、自らのお金をカンパとして提出し、時間も費やして
そして自分自身への充実感をもって
それは単純に善意の市民活動の団体であると評価したほうが
正しいのではないか
住民投票の選択肢2を選んでもらう活動をした時も
説明会へは選択肢1を推す方の来場を拒否はしなかったし
そうした方への説明も丁寧に行い、無理やり自分たちだけが
正しいとの説明はしなかった
(一方、違う活動をされた方々は、、、)
物事はあるきっかけで何かに興味を持つと
もっと深く知りたくなっていく
知っていくと更に更にと興味が湧いてくる
そしてあるところに達すると自分のなかにある種の結論が生まれる
その結論は誘導されたものもあるかもしれないが
年齢を重ねた人は自分の人生の価値観を持って判断する
こうした一連のことが新城市の住民投票がらみ、産廃がらみで起きている
それは「プロ市民」と悪意で片付けられるような活動ではなくなっている
しかし、もっと大きな障害とか現実は
多くの人はやはり市の政治、行政に無関心であるということ
実生活に具体的に影響しない人たちは関心がない
(それはある面、今のところ平和で過ごせているということかもしれないが)
この人達に将来への具体的な不安に気づいてもらうことの難しさ
これはとてつもなく難しい
もっと深く知りたくなっていく
知っていくと更に更にと興味が湧いてくる
そしてあるところに達すると自分のなかにある種の結論が生まれる
その結論は誘導されたものもあるかもしれないが
年齢を重ねた人は自分の人生の価値観を持って判断する
こうした一連のことが新城市の住民投票がらみ、産廃がらみで起きている
それは「プロ市民」と悪意で片付けられるような活動ではなくなっている
しかし、もっと大きな障害とか現実は
多くの人はやはり市の政治、行政に無関心であるということ
実生活に具体的に影響しない人たちは関心がない
(それはある面、今のところ平和で過ごせているということかもしれないが)
この人達に将来への具体的な不安に気づいてもらうことの難しさ
これはとてつもなく難しい
これは市のことだけでなく、この国のことについても同じかもしれい
どうしたら、多くの人に関心をもってもらえるか
全員は不可能としてもある閾値は越えたいものだ
どうしたら、多くの人に関心をもってもらえるか
全員は不可能としてもある閾値は越えたいものだ