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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

レコードを聴いた後にCDを聴くと

2015年09月14日 20時15分36秒 | 徒然なるままに

我が家にはレコードプレーヤーがある
今まで集めたものを無駄にしてしまうのはもったいない
との思いでレコードを残しているのだが
最近は中古レコードの安さにひかれて増えるのはレコードばかりになっている

もちろん音の良さも忘れることはできない
ところで、自分の部屋で
CDを聞いた後レコードを聴く
しばらく何も聞かなかった後CDを聴く
レコードを聴いた後CDを聴く
このそれぞれの場合の印象が随分異なる 

最初にCDを聞いた後にレコードを聴くと多くの人が言うように
何かしらあったかいホッとするような気がする
そしてそれは気のせいかもしれないとも思ったりする

次にしばらく聴かなかったあとCDを聴く
別に問題は感じない 便利でそれなりのスッキリした音
特に便利さがありがたいと思う

一番困るのは、レコードを聴いた後CDを聞いた時のこと
なにこれ!
音がスカスカ、情報量が圧倒的に少ない、中音部の迫力がない
そんなガッカリした思いになることが多い

レコードとCDで同じものを持っている場合はレコードを優先して聴く
CDしか持っていない時はレコードからCDに切り替えるのだが
レコードを聴く耳が出来上がった後のCDは本当に最悪
音量をあげても増えるのは音量だけで
音楽の情報量は空虚なまま

これはレコードとCDの規格の違いによるものか
それとも自宅のシステム自体が
レコード再生の方に費用をかけているせいなのかが分からないが
現実の話、それなりのレコード再生の機材を用いたものは
CDよりもずっといい音(自分にとって)がする

CDは今の技術のことだからそんなはずはなかろうと
時折オーディオショップで高価なCDプレーヤーなどでの
再生音を聴くと、静寂からの立ち上がりとか一つの楽器、声の
削ぎ落とされたきれいさは感じるが、どうしても音楽的な感動には至らない

それでもCDプレーヤーにレコードプレーヤー並みの金額を投資してみれば
CDでもこんな不満足にはならないかもしれないと考えたりするが
もうオーディオに費用をかける余裕がなくなってきている
もともと、オーディオの病気にはならないつもりでいた
何かを変えると変化があり、それはそれで面白い世界かもしれないが
自分が聴きたいのは音響ではなく音楽
そして身の丈にあったシステムで諦めることにしている 
そしてそれで良いと思っている

しかしそれにしても、レコードを聴いた後のCDの音
この落差を考えると、技術は本当に進歩しているのかとさえ思う
(CDが便利なのは認めるけど、大事なのは音楽の方、それを犠牲にまでして
 推し進めるのは豊かなことなのか?と思ったりする)

ちなみにシステムはレコードの方の入力部は
カートリッジ DENON 103
プレーヤー ノッティンガムハイパースペース
フォノイコライザー EAR 843P 

CDの方はプレーヤーが
MUSICAL FIDELITY  A3.2CD

アンプは一緒なので省略

確かに比較するには不公平な価格差
価格差からすればレコードの方にそれなりの実力を
発揮してもらわなければ吊り合わないのだろうが 

 

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「ラインの黄金」予習

2015年09月14日 10時05分34秒 | 音楽

いったい何回ヴァーグナーの「ラインの黄金」を聴いただろうか
3枚組レコードの最初と最後は何度か聴いたことがある
しかし、途中、特に3面以降は歌詞と照らし合わせながら聴くのが
面倒でそんなに聴いていない 

今回、10月の国立歌劇場の上演に合わせて予習を兼ねて
我慢しながら歌詞と照らし合わせながら聴いてみた
(カラヤン盤のレコードの解説書をみながらフルトヴェングラーとの演奏で) 

「ラインの黄金」は神話の物語で妙なストーリーだ
ラインの乙女から奪った黄金で作った指輪が
世界を支配しうる能力をもつ
というのは、どこからの発想かヴァーグナー自身の発想か
専門家ではないので分からないが、
「愛を諦めたものが手にすることができる」のアイデア・位置づけはなかなかのもの
この指輪がとんでもない力を持つのは、トルーキンの指輪物語でもおなじみだが
ヨーロッパでは割合ありふれたパターンなのだろうか

歌詞を追っていくとなかなかおもしろい
ワルハラ城を巨人に作らせたのはヴォータンだが
その報酬としてフライア(生命の女神)を与えようとする
しかし、姉のヴォータンの妻 フリッカが横槍を入れる
最初から巨人にフライアを渡すつもりなどなかったヴォータンは
火の神ローゲと策略を用いて、愛を諦めたアルベリヒが作り上げた
指輪を奪ってフライアの代わりに渡すことになる
しかし、指輪にはアルベリヒから奪った時点で呪いがかけられており
巨人に渡されると兄弟げんかをして、片方が他方を殺してしまう

ヴァーグナーはなんとまあ奇妙な話を考えたものだ
そしてこの神話的な話が、現在では演劇的に解釈されて
実生活の幾つかの状況になぞらえられているし
そのように拡大解釈をしたがる人の気持ちも何となく分かる
 

今回聞いていて興味深い人物(神)はローゲ
人間性の深い洞察力とひねくれた発想と策略
もしかしたらジークフリート、ブリュンヒルデ、ヴォータンに隠れた
影の主役なのかもしれない

とここまではストーリーを主体の話
音楽は前夜祭と名付けられた出しもので続く作品にも
効果的に使われるライトモチーフがお披露目
解説書の歌詞がどこだったのか見失った時、このライトモチーフは
場面を探すのに役に立つ 

フルトヴェングラーの演奏はイタリアのオーケストラなので
ノリはいいかもしれないが金管の音色に少し違和感がある
こんな面倒な話(音楽)はもう一生聴くことはないかもしれないので
今回の機会を大切にしなくては、、

音楽を聞かずにストーリーだけを一回追ってみようか
そういえば、ニーベルングの指輪の漫画があった
こちらのほうがわかりやすいかも知れない
でも、漫画喫茶にはなさそうかな、、(自分で買うきにはなれない)
 

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