パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何も言えなくなる前に!

2015年09月16日 19時33分56秒 | あれこれ考えること

ある人が自分の親にこう聞いた
「始まる前に何故戦争に反対しなかったのか?」 
答えは
「あの時はとてもそんなこと言える雰囲気、状況ではなかった」

これはその人だけでなく、おそらく多くの人が経験した思いに違いない
そんなことを叫べば非国民の烙印を押される
近所との付き合いもできなくなる
変な人だと思われる
家族にも迷惑がかかる、、、


2015年9月の今はまだ大声で自由に「戦争反対!」(あるいは反政府的な発言)を叫ぶことができるが
ある時期を境にして、空気が変わってこの様に「何も言えなくなる」可能性がある
そんな事は杞憂、想像上の世界のことと思う人がいるかもしれない
しかし、もしなってしまったら、その時はもう全くの手遅れになってしまう

だから物事はなんでも言える内に、危険な方向に行くことを想像力をもって阻止しなければならない
まだ間に合う!と言っている内に外堀はどんどん埋められていって
そんなはずではなかった!となってしまうのは避けなければならない

おそらく大衆は感情的な扇動に弱い
なにかプライドを傷つけられることがあれば、理性よりも感情が先立ってしまう
そして自分でも想像した以上の行動をしてしまう
人間は実際には理性的な生き物 ではなく、自分のなかで理性と感情が戦えばいつも感情が勝利する

この人間に対する、いい意味での不信感を担保するために
人間は想像力を働かして最悪の状況を作らない知恵を発揮しなければならない
なんでも言えるうちに、 

 

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組織の中の個人

2015年09月16日 05時56分12秒 | あれこれ考えること

中日新聞の社員のなかにも多分ジャイアンツが好きな人がいる
阪神ならなんとなく許せそうでも
仕事上競合する読売新聞がメインスポンサーのジャイアンツが好きだと
社内で口にするのは少し空気を読まないと難しそう 

スポーツの事ならまだいいけれど
日本テレビや読売新聞で安保関連法案に反対する人がいたら
その人達は一体どんな態度をとるのだろう
個人の心情的と仕事とは関係ないと、
堂々とあの組織の中で自分の意見を押し通せるか? 

また安保関連法案反対のデモの警備をする仕事の警察の方々はどうなんだろう
仕事として警備を行っているがデモをする人の心情も理解できる人もいるに違いない
しかしデモする人が警備の仕事に負担をかけるようなことをしたら
その時点で、デモを何故行っているかどうかはどこかに行ってしまって
感情的に反発心を持つかもしれない

そんな個人個人の心情のことを想像していた時に、昨日の参議院の公聴会での
『SEALDs』の代表の発言をネットで見つけた
これがなかなかのもの

正直なところ、安倍さんの70年談話よりはわかりやすいし、理性を感じる
安倍さんの70年談話はスピーチライターの作品の出来を判定するなら
必要字句は入っているし、無難にまとめて一定の評価はできるかもしれないが
メッセージとしてはある一部分を除いてまるっきり他人事
何が言いたいかわからない

ネットに出ていたこの公聴会の発言をコピー&ペーストしてみると------------------------------------------------------------------------

「ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。

 『SEALDs』という学生団体で活動しております。

 すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。

 初めに『SEALDs』とは、”Students Emergency Action for Liberal Democracy-s”。日本語で言うと、自由と民主主義のための学生緊急行動です。

 私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。最初はたった数十人で立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。

 その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。

こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日、私が話したいことは3つあります。1つは、今、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。

 2つ目はこの安保法制に関して現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。

3つ目は政治家の方々への、私からのお願いです。

まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も国会前では10万人を超える人が、集まりました。

しかし、この行動はなにも東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。

私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。

この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にも、沢山の集会があの町でもこの町でも行われています。まさに、全国各地で声があがり人々が立ち上がっているのです。

また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。

強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで、政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。私たちはこの国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。

SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。
例えば『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。他にも『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのか』ということです。
しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
『政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。
それに対し私、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なんだということ、そう考えています。
その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。そして2015年9月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの社会の空気を変えていったのです。

デモや至るところで行われた集会こそが『不断の努力』です。そうした行動の積み重ねが基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。
私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。

安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。
私は先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。
そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。そして議員の方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。

今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。70年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
今の反対のうねりは、世代を超えたものです。70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。その思いが私たちを繋げています。
私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。

第二に、この法案の審議に関してです。
各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。『理解してもらうためにきちんと説明していく』と現政府の方はおっしゃられておりました。
しかし説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。

選挙の時に集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。しかしながら自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。
昨年の選挙でも、菅官房長官は『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。
私には、政府は法的安定性の説明することを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です。

また、本当に与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。

このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作り出したのではありません。もし、そう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。
私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。

 ある金沢の主婦の方がFacebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。
なぜなら、不安だったからです。

今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案でこれまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。
一体なぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。一つひとつ審議しては駄目だったのでしょうか。まったく納得が行きません。
結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。
今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。

私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動を行ってきました。そして沢山の人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
確かに若者は政治的に無関心だといわれています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。
私は彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。今こそ、政治の力が必要なのです。

どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。
何も賛成からすべて反対に回れと言うのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。

 

 政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。
政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のためにこの国の未来のために、どうかもう一度考えなおしてはいただけないでしょうか。

私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。
一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。それは貴方たちにしかできないことなのです。

では、なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。それには理由があります。
参考人としてここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。

 ひとつ、仮にこの法案が強行に採決されるようなことがあれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。
『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。むしろ、そこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。

 私にとって政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私は困難なこの4ヶ月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。

 どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。

 勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私はそのことを支持します。
困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。

2015年9月15日、奥田愛基。ありがとうございました」-----------------------------------------------------------------------------------

 奥田氏のメッセージの一番のポイントは別の部分だったかもしれないが
自分にとっては、赤色の部分が、冒頭あげたように組織の中の個人のことを
考えていたのでとても気になった

これは波風を立てないように、空気を読んで、長いものには巻かれろ
またはあるべき組織論
といった日本人が多く持つ傾向とは少し違う印象を持つ

組織の中の個人 組織の中であっても個人は個人
生活のため組織人として振る舞うか
人として個人として振る舞うか
どちらが正しいなんてわからない
ただ言えるのは、どちらを選択するにしても一度自分の中にある
自分の声と向かい合うこと その上で決めることが肝要と思われる

ところがこの自分の「内なる声を聞く」訓練が
果たして政治家の方々にできているのかがとても疑問に思えてならない
(その容貌で判断するしかない、しかし生き方は表情に出るものだ)

政治家はその立場から「偉い」のではなく
他人から行いをもって「偉い」と評価されるのも
他人から自分の内なる声を聞いて行動していると判断され
無条件に「偉い」と感じられる政治家さんはいるのだろうか
実はこれが一番の心配事  
政治屋さんはいても政治家はいないような、、、



 

 

 

 

 

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