今度は晴れてよかった
野田城伝・3つの笛がたり・月見の宴と続く
「笛の盆」のイベントの2番目
新城市にある鳳来寺山の仁王門の前で行われる
「語りと篠笛のコンサート」が
昨日(9月22日)行われた
鳳来寺の仁王門まで来るのは小学校の遠足以来で
記憶の片隅にあるのは、硯石屋さんがあったということ
なんでこんなことを覚えているのか分からない
何十年ぶりに登る鳳来寺の石階段
こんなに登りにくいものだったかな?
一歩一歩ゆっくり歩いて石の上に足場を確保しても
体のバランスはグラグラして自分の体幹の弱さを実感して
少しショックを覚える
(雨などで土が流れて岩がむき出しになって歩きにくくなっているとの想像もつく
いくら子供の頃は体が軽いとはいえ、こんなに歩きにくかった記憶はなかった)
篠笛を聴くのは初めて
仁王門を過ぎて階段を椅子代わりに座る
比較的後ろに位置取りして、篠笛が聞こえるのかと心配したが
何の事はないしっかり聴こえた
というより、こんなに篠笛の音は届くのか
と驚く
周りは秋の虫の声、川のせせらぎ、
それでも静寂という言葉がふさわしい杉木立の中に
音が届く
なかなか心地よい
なるほどこれなら武田信玄も笛に誘われてふらふらと
狙撃される場所まで出てしまう気持ちも分からないではない
(野田城で笛の音に誘われて出たところを狙撃された言い伝えがある)
篠笛の音を聞いていたら、尺八の音もこの状況にはしっかりマッチしそう
などと連想してしまった
尺八と琵琶の音が切り裂くような武満徹の音楽(ノーベンバー・ステップス)も
今なら無理なく理解できそうな気がする
一曲は数分間、
奏者の方の話では昨日は湿度が高くて笛本来の音が出にくい
状況のようで、何曲か演奏されるうちに笛が温まって調子が出てきた
とのことだが、素人にはわからない
最初から十分楽しめた
日本人でも日本の楽器で奏されるものを聴くことは少ない
こうして笛を聴いていると西洋の音楽との違いが際立つ
特に今の音楽では当たり前のようになっているリズムというか
規則的な拍(4分の4とか、8分の6とか)がなくて
息継ぎの個々人のタイミングで音楽がつながっていく
そしてメロディーは(耳が慣れていないので違っているかもしれないが)
規則的な繰り返しとか、その一部の変形と言うよりは
あくまでも即興みたいに感じられる
曲を覚えるという意味ではパターン化されていない分だけ(慣れていないだけ)
自分たちには難しいかな
などと、いつものどうでもいいことの思いつくままの連想
この日は他に、語りと笛のコラボの出し物が2つあったが
野外という環境の中にもかかわらず集中してみんな聞いていた
このイベント、帰る道を歩く人が思いの外多く
先ずは成功だったのかも
何よりも降られなくてよかったのが一番だったけど
篠笛の音はこんな感じ 音が遠くまで届きます