午前の投稿があまりにも幼稚で情けないものに思えてきた
「太平洋戦争と新聞」
これを読み進めると、すごい迫力というか、空恐ろしい感じがしてくる
迫り来る重々しい何か嫌なものが心を暗くする
満州事変、リットン調査隊の報告に対する新聞の報道、
五・一五事件に対する大手新聞の行動
ご都合主義の報道のこれらを読んでいると、現在の北朝鮮の姿を連想する
何の事はない、かつて我が国も今の北朝鮮と同じだったのかと
(もっと怖いのは、今も知らず知らずその方向に向かっているのではないかと思えること)
五・一五のテロの効果が世界を一変させてしまった
(このテロについてはハンナ・アーレントの全体主義の起源のなかにも
豊富な資料の中から扱われている)
しかし、すごい人物はいるもので大手の新聞が「新聞は商品である」
と開き直ったと思える状況下で、福岡日日新聞の菊竹六鼓という人物は
完全に軍部に批判的な記事を書き続けている
この人は完全なリベラリストというわけでないが信念として
自分が正しいと思うことを伝えようとする意志が強い
(左翼に批判的な言を書くなら同様に右翼にも批判的な記事を書くべきとも言っている)
軍部からの脅迫や不買運動の圧力もあった
しかし、会社も大したもので新聞発行の意味を覚悟を持って
実行している
(不買運動や弾圧で会社が潰れそうと心配し穏便な記事を依頼した社員に、
馬鹿なことを言ってはいかん、日本がつぶれるかの問題だと一蹴したという)
少し関係ないかもしれないが、この菊池六鼓という人物の後輩の若い記者に対する口癖が
「ウソは絶対書くな。新聞がウソを書けば、多くの読者が本当と思うので影響は大きい」
と記されている
この本の本質とは離れるかもしれないが、記憶に残るフレーズだ
自分の中学・高校時代も昭和史は丁寧には扱われなかった
時間切れ!のような扱いで、ただ表面をなぞっただけで終わってしまった
ところが、今こうして改めて、ほんの少しだが興味を持ってみると
これは次に活かすべき事柄が、本当に反省して二度と繰り返さないための
ポイントがいくらでも見つかることに驚く
歴史に学ばない国家は滅びる
日本は(と地方都市の小市民が大げさに取り上げても意味は無いかもしれないが)
本当に痛い目をして何を学んできたのだろうか
読みかけの本は、まだ半分位に達したところ
はやく読み終えたい気持ちと、じっくり頭に入れるように読みたい気持ちが両立している
読みながら付箋をつけるようにしているので、とりあえず速く読み終えるようにしようか