パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

スピーチの前提となる教養

2016年05月27日 19時30分13秒 | あれこれ考えること

そのスピーチは17分にも及ぶものだったが
長さを感じずに聴いてしまった
オバマ大統領の広島平和公園でのスピーチ 

この内容については、テレビ・新聞が解説を交えて
紹介するだろうから、わざわざ自分がするまでのことはない

だが、聴きながらつくづく感じたことは、知恵とか教養とか
歴史を踏まえての考察というものが、この人には(スピーチを書いた人には)
当たり前のように存在しているということ

この後で聴いた安倍さんのスピーチは比べると、その出来、
洞察力の差は如何ともし難い 
安倍さんは、いつもの、とかやっぱりとか 、美辞麗句の羅列が続いたが
オバマさんは人間のどうしようもない面への懸念や不安、そうしたものまで
踏み込んでおり、その上で為すべきことについて述べている

西欧の教養ということは、職務上のスキルによって確立されているのではなくて
哲学に似た思考訓練からなされているものだと思い知らされる

世界との共有する感覚
それは、もしかしたら日本の教養のあり方では、できていないのではないか
と少しばかり不安になる

かつて世界が日本人のことを「エコノミックアニマル」と称して
少しばかりバカにしたのは、真の教養の欠如のせいではないのか 

最近、よく見られる「日本は世界の中で、こんなにすごいんだ!」
という扱いは、その冷静な考察なしに勝手に日本人が喜んでいる
みたいなところがあって、少し危険な感じを持ってしまうのは
偏屈すぎるだろうか

とにかく、日本人は、特に政治家には真に教養人の
必要性を感じるが、、、 


 

コメント
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