朝の時間はなんとなくテレビをつけている
そこで、「ゲスの極み乙女」の川谷絵音氏が離婚したと
報じられていた(昨日)
ゲスの極み乙女というバンド(?)は知らないし、
音楽も当然そのメンバーである川谷絵音氏も知らない
このニュース関連で知っていることといえば僅かに
ベッキーというタレントが川谷氏と不倫関係にあったらしいということだけ
でも正直なところ、そんなことは自分にとってどうでもいいことで
そんなニュースは見たくも聴きたくもないのでチャンネルを変えたら
別の局でも同じ様な川谷氏の画像が目に入った
少しイラッとしてまた別のチャンネルに変えたら、すると今度も同じテーマで
騒いでいる
結局呆れてテレビを消して、自分のやるべきことに移ったのだが
同じ時間帯に、民放が同じような話題を取り扱っている
しかも同じようなトーンで
こうしたシーンが幾度と無く節操無く繰り返されている現状
少し異常ではないか
難しい政治や経済の話よりはこの程度のことで騒いでいる方が
平和だということを現しているという考え方や
芸能レポーターという職種の人たちのそれなりの苦労や努力、実力を
認めていないわけではない
でも、やっぱりそれはどうでもいいこと
どうでもいいことか、いいことでないかは
テレビ局は視聴率という物差しで判断する
視聴率が取れそうな話題や伝え方は良いことで
そうでないものはどうでもいいこととなるようだ
そしてそこには、正しい報道がありやなしやはあまり関係のなさそうだ
テレビ局のどこか分別くさい他人を批判する姿勢は
今までにもたくさんあって、それはメディアリンチというらしい
このメディアリンチの最たるものの一例がSTAP細胞騒動
昨日久し振りに大きめの書店を覗いたら、やっぱり本屋は良いな
世の中には、本当にいろんなことを考え、表現する人がいるものだ
と実感する
そして、ブラブラと背表紙を眺めながら読む候補を探す
小説ではウンベルト・エーコの「プラハの墓地」
オルハン・パムクの「黒い本」(どちらも厚すぎるし高すぎる)
それから先日の読書でその存在を知り気になったホッブスの「リヴァイアサン」
それから今になって微分積分の意味を知ってみたいと思って
おさらいのようなその手の本
しかし結局購入したのは「STAP細胞はなぜ潰されたのか」
渋谷一郎氏がビジネス社から出版されたものと別の分野の一冊
STAP細胞関連の本は、これで4冊目「あの日」「捏造の科学者」
「STAP細胞残された謎」そしてこの本
さすがに4冊ほど読んでいくとそこで扱われている概念や現象、考え方などが
少し分かるようになる
昨日の求めた 「STAP細胞はなぜ潰されたのか」は結局一気に読み飛ばしてしまった
これは「あの日」が書かれた後に出された書籍
そして内容は科学の分野というよりは、この騒動のおかしさの方に力点がある
自分が意外に(こんなふうに言っては失礼だが)面白かったのは
「あの日」よりも先に発行された「STAP細胞残された謎」
この本は、科学的な要素を事細かく説明していく
それを読むと一連のテレビ報道が事実だったのかという疑問が起きてくる
知っている人は知っていいるが、
知らない人は第一印象で間違って覚えていることに
若山さんの「自分自身が作成したSTAP幹細胞を解析したところ
自分の研究室にないマウスだった」という言葉から類推される
なんとなく小保方さんが違うマウスを使ってインチキをしたような印象をあたえる事柄
実は、若山さんが分析を依頼したのは友達関連の人で
この解析自体が信用できるものではないと理研は答えているし
後に若山氏も自分ところのマウスの管理が乱雑だったので
はっきり自分が渡したものと違うとは言えない
と訂正している
問題はこの部分、違うマウスで作られた
と一般の人には印象付けられた
しかし、その後に、「あれは必ずしもそうだはなかった」と言っても
今度はメディアは扱わない(扱っても最初の印象を覆すほどの扱いはない)
話は飛ぶが湾岸戦争の油まみれの水鳥
これはフセインが油田の口を開いて原油を垂れ流したせいで油まみれに
なったと印象付けられたが、その実態は全然違う別の場所で撮影された
映像で、最初の報道は違うことを一応伝えたが、広く一般の人までには伝わっていない
つまりどんな時も最初のインパクトの有る印象をを覆すことは難しいということ
STAP細胞騒動のきっかけは、理研の発表からすぐにインターネット上で指摘された
画像の不正流用等だが、この発表からあまりにも速い指摘に疑問を感じたのは
武田教授だけではないようだ
そのインターネット上の指摘は「Pubpeer」という研究者向けの匿名投稿サイト
だったようだが、それ以外にも猛烈な一方的なリークが行われ
メディアはそのリークを信じ、その路線で物事の解釈報道を進めていき
反論の機会、立場を与えることなく批判した
いったいメディアは本当のことを伝えているのだろうか
メディアを本当に信用していいものか
ここの部分がどうしても気になる
このメディアへの疑問が、今読んでいる「太平洋戦争と新聞」につながる
メディアは人の求めているのもを伝えているだけなのか
それとも、人が求めそうなものを報道しているだけなのか
ひとの作り出す空気は自然発生的なのか
それともメディアによって作られるものか
ところで話題になりつつあるパナマ文書
メディアの伝え方の方向性は、いろんな視点からあってしかるべきだろうが
きっと日本は、誰かが口を開いたら
それに追従のような伝え方をするんだろうな、、
と予想するが、、果たして