「秋が好きだ、物悲しいこの季節には思い出がよく似合う。
木々が葉を失い、まだ赤みを残した夕暮れの空が枯れ草を黄金色に染めるとき、
自分のなかで少し前まで燃えていた火が全て消えていくのを見れば、
ひとは穏やかな気持になる。」
先日時間つぶしに入った書店で、何気なく手にした本の冒頭部分
作品は「十一月」 フローベール の短編だ
翻訳の文章だがとても気に入った(翻訳は笠間直穂子さん)
人には無条件に共感できる文章とかリズムとか文体があるもので
それは翻訳であっても、不思議とすっとその世界に入っていける
書店に行くと誰もそうだと思うが、パラパラと冒頭部分を読む
そこで自分に合う文章を見つけると、まるで宝物を見つけたような気分になる
北杜夫の「幽霊」も書店でパラパラと冒頭部分を読んで
直ぐ様購入した一冊だ
「人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。 だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻をしつづけているものらしい。そんな所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。」
この部分でいきなりノックアウトされた
そして読み進めていくうちに、色彩のない静かな物語に心を奪われると同時に
ひどくこの素晴らしい文章に嫉妬した
そういえば、翻訳ものだがヘッセの「郷愁」の冒頭も好きだ
「はじめに神話があった、偉大な神は、インド人やギリシア人やゲルマン人の魂の中で創作し
表現を求めたように、どの子どもの魂の中でも、日ごとに創作をくりかえしている。
私は、自分の故郷の湖や山や谷川がなんと呼ばれているかも、まだ知らなかった。、、、」
(翻訳は高橋健二)
こうして並べてみると自分の好みの傾向は少し明らかになってくるが
とにかく、冒頭というのはそれから先に行かせるか、行かせないかを決めるだけの力を持つ
冒頭の掴みが大事なのは音楽でも同じ
ベートーヴェンの5番
モーツァルトの40番
ビートルズのア・ハード・デイズ・ナイト
これらは最初で勝負あり!といった音楽だ
(他にもショスタコーヴィッチの5番、リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラはこう語った
マーラーの大地の歌 も印象的な冒頭)
話は本に戻って、フローベールについて
名前と「ボヴァリー夫人」という作品は知っていた
しかし、トライしてみようとは思わなかった
特に最近は馬力のある、詳細を極めた表現をしがちな外国の小説の描写が
少しばかり淡白な傾向になりつつある(?)自分にはしんどいように
思われたからだ
しかし、この冒頭部分で考え直した
この人の作品、面白いかもしれない
今の自分のタイミングなら読み終えられるかもしれない
ということで「十一月」の入った文庫本をAmazonで 購入した
と言っても、本は先日届いたのだが購入したらそれで満足
ではないのだが、暑さのせいで(?)積ん読状態に、、
いかんいかん 、読書の秋はそこまで来ている
気張って読まなければもったいない
しかし、冒頭って大事だな