パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

子どもたちの判断力

2017年03月04日 08時46分10秒 | あれこれ考えること

昔、何かでとても興味深い記事を読んだ
子どもと大人の観察力の違いに関する記事だ

その記事によると、ある虫(カブトムシだったかな)を真上から撮った
とてもリアルな写真と、本物とを並べて(もちろん同じ背景で)
真上から見てどちらが本物かを判別してもらう実験をすると
大半の大人は迷って間違いを起こしたが
子どもたちはほとんど短時間でどちらが本当かを間違いなく指摘したという

何故そんなことが子どもに出来て大人に出来ないのかは、
子どもたちはその理由を伝える言葉や会話の技術がないので不明だが
とにかくそういう事実があるのは興味深い
世の中には言葉で説明できないもの(いつかは言語化されるかもしれないが)があるもで
この容易に判別できた子どもも、大人になるとそれができなくなるようだが
子どもと大人の違いは何なのか

大人は経験に基づく知恵(知識)があって自分にとって良いもの悪いものを判断ができる
しかし、子どもはそれがない
そのままで世界に放り出されたら子どもにとっては危険で仕方ない
だから、知恵はなくても感覚で、それが何か、少なくとも良いものか悪いものかを
判断する力を持っているのでは(与えられているのでは)と考えるのは
そんなに特別な考え方ではないと思う

知恵や知識がないうちはそれ以外の何かで補う
それは十分ありそうで、若い時の柔らかな感性というのは
そのひとつと言えるかもしれない
ただこの時の不足分の補い方は、もしかしたら生き方にも依存しない
感覚的な事柄の可能性があり、それは生まれつきの可能性がある
生まれつきならある子どもにとって良いと思われることが、
ある子供にとってはよくないものと感じることも考えられる
この感じ方の違いは生物が生き延びるための可能性を
四方八方に確保しておくために準備されたものではないか
確率論みたいな生物進化学を考えると、(実はよく理解していないが)
ふとそんなふうなことを考えてしまう

日曜の朝、お得意のどうでもいい話だが
子どもたちの直感は、案外馬鹿にできないということ

姿・表情を見ただけで良い人・悪い人を判別できるとしたら
子どもたちは今の政治家の方々を、どのような判断を下すのだろう
(子供の目は、、、怖いぞ!) 

 

コメント
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