「事実は小説より奇なりです」
と言ったのは、異様に長い間拘留されている籠池さん
この言葉通りのことが、3月の朝日新聞のスクープ以来一気に動き始めている
加計学園の「首相案件文書」政府は今度はなんと言って言い訳をするか、、
ひねくれ者には少し興味があるが、流石に最近の情報の出方勢いは、
もう歯止めが効かないところまで来ているのかもしれない、、と田舎もんは思う
裁量労働制のいい加減なデータ、森友学園の公文書改ざん、イラク日報問題、
前川さんの講演に対する文科省の異様な問い合わせ、普通に考えると
もういい加減にしてくれ、、と言いたいところ
でも(自分にとっては不思議なのだが)国民の圧倒的な怒りにはなっていない
そこで少し忍耐力とか我慢強いということを考えてみた
これだけのことをされて国民は、それでもなお「なにもしないでいる」のは
国民が政治的なことに無関心であるのもあるが、悪い意味での「我慢強い」とか「忍耐強い」から
ではないのか、、と考えてしまう
「善人の沈黙」が結果的には悲劇であるのと同様に、誤った忍耐力とか我慢する力は人々のためにはならない
我慢とか忍耐力というのは、この様な問題に対して問題提起をして、人々に訴え続けること
それが直ぐには響かなくても、それでも尚、続けること、、それこそが真の忍耐力とか我慢する力ではないのか
何かをしないことを継続することは簡単だが、何かをすることを継続することは難しい
たとえば禁酒禁煙の継続と、毎日10分の何かの勉強は、どちらが難しいと言えば圧倒的に後者
と言いつつも、怠け癖が板についてる身としては、偉そうに言えないが、それでも
やはり思うことは、悪い忍耐強さは良くないということ、、、
きっと、人は適度に怒って良いのだろう(キレるというのはいただけないが)