パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

デモ雑感

2018年04月15日 09時12分40秒 | あれこれ考えること

後悔には2つあって、ひとつは「してしまったこと(失敗)」に対する後悔
もうひとつは「しなかったこと」に対する後悔
どうせ後悔するなら前者を選びべきだ、、というのは若者に向けて時々発せられる
若者には失敗を活かす時間があるからだ

最近、すべきかすべきでないか、、とハムレットのように悩む時(大した問題でないことが多いが)
あれこれ考えることなく、自分の気持ちに素直に従うことが多くなっている
その気持がどこから湧いてくるかわからないが、そうすべきだ、、という内側からの声に従ってしまう
その方が気持ちがスッキリする
これが願わくば論語にあるような境地「心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。」
であれば良いのだけれど、(自信はあるような無いような、、)

昨日、東京まで出かけ国会議事堂前のデモに参加した
自分のなかに自然と湧き上がってきた感情に素直に従った行為だ
しかし、だと言って他の参加者には申し訳ないが、「辞めろ」一辺倒は少し抵抗感があって
「真相を解明しろ、、」「ちゃんとやれ」と叫びたいところが自分としての気持ち

テレビ画面で見るのと現場で感じることは随分違う
その場所でしか感じ得ないこともある
「失われた時を求めて」ではないが、心に浮かぶイメージ・感想を
徒然草のように(心にうつりゆくよしなし事を)ダラダラとかきつくれば、、、

地下鉄の国会議事堂駅から地上に出るとこんな風景に出会った

国旗がはためいて、オリンピック等の喜ばしい感情よりは、少しひいてしまう気持ちさせる国旗の使われ方だ
この日国会議事堂前で大規模なデモが行われることを知っている対立する人たちのデモで
スピーチは勢い良いことを言っているが人は少ない感じ
いろんな考え方があるのは否定しないので、少し耳を澄ませて聞いてみたが、、、
正直なところ話が飛躍しすぎて(反日とか直ぐに使い出すので)よくわからなかった

近くに警察の方がいた、デモの方々には警察は評判がよろしくないが、この人達の本音は
どんなんだろうと、、その表情を見てみた、そして話しかけてみた
「この近くにコンビニありますか?」
天気が怪しかったのでビニール傘を買っておこうと思ったのだ
その意図を彼は直ぐに察して
「この近くにはありません、でもその角を曲がって、そのまま歩いて、また左に曲がって、、でも正直、遠いです」
若い方だったが、とても好感が持てる応対だった
この方の印象が良かったので、つい大半の警察の方は、青筋立てて警備をしようとしている様子もない印象をもってしまった
(この人たちも連日のニュースを知っているので、、、?)

デモの方々はそれぞれスローガンを書いたボードを掲げている

その中で気に入ったのは、黄色地の紙に黒で書かれた(この画像にはないが)
「Your silence will not protect you」
本当にそう思う

次に気に入ったのは
「官僚たちよ、(良心の声を上げろ)こんな政権に忖度するな、国民の為に働いて!」
官僚さんを悪者にするのではなく(良心の声)に期待するところが、北風と太陽の太陽の立場
官僚さんには内なる声を聞き、それに従う勇気を持って欲しいとつくづく思う

こういう風刺のきいたのもある

次のもつい撮影してしまった

「ピノキオ」の物語から来ているが、こういうどこか余裕のあるものが真面目一辺倒よりは
個人的には好きだな
そう言えば、少し前ツイッターで英語のスローガンにこういうのを使ったら!と
アップした人がいた

Abe, your time is up!
Your time is up, Abe!
“Properly” explaining means not lying!
Buy a Dictionary!

Dear Ms. Akie Abe, This is an INVITATION
to the Diet
ABE RESIGN NOW!
We want justice!

(言葉に使い方が違ってるから)辞書を買え!とか ダイエットの招待状とか、、
少しニンマリする

「お互いに冷静に、、」
これはバリケードが決壊した時の警察の方の言葉
ここで少しびっくりしたのは、バリケードを乗り越えてあれよあれよと人が道にはみ出した、、ばかりではなかったこと
確かに多くの人は勢いにのって道路に移動した
しかしまだ歩道に残っている人も少なくなかった
道路に進んだほうが一体感を感じられるし、デモの効果も大きそう、そしてその場の雰囲気としては
そういう行動をとったほうが自然と思われたが、、冷静におとなしく歩道にいた人がいる
それは警察が守ろうとしているルールを破る気持ちに抵抗感を覚えているのではないのか
思い込みかもしれないが、その時フトそう感じた
そして勝手な連想は、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」(3)のある部分を思い出した
それは収容所の人数としては圧倒的に多いユダヤ人が、何故みんなで抵抗してせめて一人でもドイツ人を
やっつけるということをしなかったのか、、ということ
自分もシンドラーのリストとか戦場のピアニストを見た時には、何故、ヤケクソでも抵抗しなかったのだろう
との思いを消すことができなかったが、それが今回も見られたような気がしたのだ

そして、こんなこと(実験結果)も思い出した
二種類のさかなが入った水槽がある
片方が他のさかなを食べてしまう関係だが、その水槽には透明な仕切りがあって
食べられる方のさかなに接近しようとするとその仕切が邪魔になって対象にたどり着けない
さかなにとってはストレスのかかる状態だがこの状態を長いこと経験した後、
その仕切を取るとどういうことが起きるか、、
食べる方のさかなは、食べれるにも関わらず、食べないままでいる、、というのだ

諦めることになれすぎてしまうと、知らないうちに、自分で自分の行動にブレーキをかけてしまう
それは「人間性の破壊」に通じるものとハンナ・アーレントは言ってる(ような印象)
まさか、そこまではいっていないぞ、、であれば良いのだが、なんとなく危惧を覚える次第

ところで、今更ながらやっとのこと東京の地図、位置関係がわかってきた
名前だけはよく聞く地名がどこにあってどことつながっているかとか
東京って、基本的には江戸なんだな、、て感じ、
でも田舎もんには人が多すぎて疲れる、、

疲れるというものの次回の上京は、GWのラ・フォル・ジュルネ(何年ぶりかな)
これは単純に楽しみ、、





コメント
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