パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

感謝してくれる人がいるということ

2018年04月11日 09時20分33秒 | あれこれ考えること

一部の人達には「クレーマー」とさえ思われそうな、自分たちの市政に関する関わり方
現実に以前はある市議から「今度は何を文句言いに来たのだ」と言われたことがあった
でも、その時答えたのは「誰だって文句なんか言いたくない、そちらがちゃんとやってくれればいいだけのこと」
と念を押したのだが、その方は聞く耳を持たなかった

最近、裁判やら地域自治区の活動交付金の件で、税金が不当に使われているのではないかとの思いから
まずは地元の人達に現状認識をしてもらうためと、その対応策をするためにあちこち回っているが
その時言われるのが「あなた達のような人がいて良かった」という言葉だ

こうしていちいち教えてもらわないと、何が起きているかわからないし、わからないところで物事が
進められてしまう 大事な税金も無駄に使われてしまう
誰かがチェックしてくれないと(本当は議員さんの役目なんだが)訳のわからない使い方をされてしまう
代わりにチェックとか監視をしてもらっていてありがたい、、
その人たちは、だいたいこの様なことをいう

どういう訳か国と市は妙にシンクロしていて、市の拡大版が国みたいなところがあるが
ある立場の人にとっては我々のクレーマーに近い存在が、デモする人々とか政権におかしいと声を上げる人々
(野党だけでなく)

まだまだこの国では自発的に行動をおこすことは少ないし、そんなに物事を荒立てなくても、、と考えたい人も多そう
しかし、現実的にはこうした声を上げることによって(野党のお手柄だけでなく)裁量労働制のデータの撤回を、
そしてそれに基づく法案の撤回を手にした
そしてそれは結局多くの国民の為になった
文句を言う人達の存在が、自分たちの為になった、、
素直に物事をとる人はそう考えて、行動する人たちに自分では出来ない行動への感謝の言葉を述べる

このクレーマーと言われそうな人たちは「プロ市民」とは真逆な人たちだ
(少なくとも自分の周りでは)
第一にお金をもらって活動しているのではない、それどころか自らお金を出して行動している
そしてその見返りは、、、何もない
ただ、そうすることが正しいという気持ちと、それに対する満足感だけだ

世の中には、そういう人が存在する
確かに持続するためにはお金の問題は重要な要素だが
お金がなくても活動する、、お金をもらわないからこそ自由に行動できると考える人もいるのだ
(このあたりは、昨年読んだ行動経済学の本にも扱われたいた)

この意味で、新城市ではなんでも手当をつけて〜〜会議とか、そうした機関が多すぎるようだ
一旦お金をもらってしまうと自由な発言ができにくくなる
(精神的な上下関係ができてしまう)
確かに自分の時間を潰して活動してもらうのに、唯というのは多少問題があるかもしれない
でも上にあげたような弊害を思いつくのも事実
要はもう少し市に対する信頼感があれば良いのだけれど、今のところそれが全面的に信用、、
というわけにはいかないところが、少しばかり悲しい

自分らの行動が必要なくなる世界
それが本当は一番なのだが、、、これは非現実的な世界か、、、

コメント
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