面白いのだが、一気に読んでしまうようにならないでいるのがこの本
帯のコピーには「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ激賞とあるが、それもそのはず
この本の内容は「サピエンス全史」に書かれていたこととだいぶ被る
知識(知恵)はどこに保存されるか
脳の機能として医学的な研究の成果をこと細かに紹介しているのではなく
むしろ脳は面倒くさいことは避けて要領よく、自分のわからないところは人任せ(専門家任せ)にしていく
傾向があり、知恵はコミュニティと言うか、そうした漠然としたグループに保存され
人は知ってるつもりで、過不足なく利用するようになっている、、そんな内容だ
鉄腕アトムのお茶の水博士はアトムの生みの親ではないが、(天馬博士が生みの親)
子どもころはお茶の水博士は、アトムに関することならそれこなんでもわかってると思っていた
しかし、今はそれは不可能なことは明らか
アトムの頭脳のコンピュータのプログラムをつくるひと、CPU自体を作る人、
それから身体をつくるひと(表面仕上げから、歩くまでの関節の動きなどを円滑にする人)
エレルギーを管理する人、、、つまり、それぞれ専門家の分野でしかわからないようなことが集まって
アトムは出来上がっていて、お茶の水博士は何でもかんでも知ってるわけではないということ
実際はそうなんだなと実感する
実生活でも、その分野は誰々が詳しいとなれば、自らその分野を勉強することなくその人の知恵を拝借する
コンピュータや車については実はその構造や仕組みが厳密にわからずとも使い方だけはわかり
細かな知識は専門家にお任せしている
これはこうした科学分野のことのみではなく、政治のことも、更に学問においても、、、
結局のところ、人はアバウトなイメージ的なことしか知り得ていないし
(それは何も知っていないことに通じて、ソクラテスの無知の知を思い出させる)
それで、うまくいっているということ、、、ということなんだろう
人はそんなもん、、、というのが明らかにされて、少しホッとする、、感じ