時々NHKの「100分de名著」を見ている(録画で)
前回はオルテガの「大衆の反逆」で、少しばかり不満の残るところもあったが
自分が見逃していた部分の指摘もあって、まずまずだったので続くシリーズも見る気になった
今回は夏目漱石スペシャルと題して第一回目は「三四郎」
この本は読んでいない、彼の作品で読んでいるのは高校時代の教科書にあった「こころ」
松田優作、藤谷美和子の主演で映画になった「それから」
黒澤明の監督で「夢十夜」、そして最近読んだばかりの「草枕」
あとは「門」くらいなもの
読んでいない作品を期待感をもたせて紹介していくので、つい読んでみようか!
の気を起こさせるが、この三四郎は指南役の安倍公彦氏によれば「応援小説」なのだそうだ
ちょっとばかり度胸のない、その場の勢いで反応することをせず、絶えずその時の意味を考える
物足りない人物で小説の終わりになっても三四郎が覚醒するというようなことはないような人物
として解説している
この話を聞いていて(見ていて)不意に思い出したのが、最近読んだばかりの源氏物語の登場人物の「薫の君」
彼は光源氏の息子と世間的には思われているが、実は柏木の息子
光源氏も本人も、柏木もその事実を知っていて苦悩するが今回気になったのは別のこと
宇治十帖で詳細に記されている「浮舟」との関係が、光源氏のDNAを引き継いで衝動的な行動をとる匂宮
(それ故に情熱的との見方もある)と比べて、この三四郎のようにもどかしい
源氏物語を一旦読んだあと、復習の意味を込めて解説本を図書館から借りてきたが
その中の一冊に田辺聖子の「源氏物語 男の世界」があって、薫の君のことがかなりのページを費やしている
薫の君は瀬戸内寂聴さんは、グズでどんくさい、、という感じであまり評価していない感じだが
(どうやら女性一般には人気のないようだが)
田辺聖子のさんの方はそれほど悪くは言っていない
彼の慎重な選択もそれなりに仕方ないと見ているような節がある
このプラトニック気味な傾向のある、男としては物足りないかもしれない薫の君のイメージが三四郎にかぶってきた
夏目漱石はもしかしたら源氏物語の薫の君をどこか頭のなかにおいて作り出したキャラクターなのではないか
そんな気がしてならなかった
よく言われる西欧文明のショックを受けた上で近代的自我の覚醒、云々というよりは、昔から日本にも存在する
当たり前の心理状況を三四郎の中に表現したのではないか、、と勝手に思ってしまった
ところで、またもや源氏物語に戻ると、男は登場人物の「葵の上」「六条御息所」「夕顔」「明石の上」「紫の上」
「末摘花」「朧月夜」「藤壺」「花散里」「三の宮」などの女性陣のうち、どの女性が好みか、、と気になるが
同様に女性は男の登場人物「光源氏」「桐壺帝」「頭の中将」「朱雀帝」「夕霧」「柏木」「薫の君」などが
気になるようだ
そしてその評価はいろいろで、男どもが「雨夜の品定め」で理想の女(都合の良い女)をあれこれ無責任に
話すのと同様に、この男が個人的にはフィットする、、などと話されることはあったんだろうなと容易に想像できる
ところで、一昨年読んだ「サピエンズ全史」には
生物は生き延びるために様々な工夫をして(生殖の上でも)いるにもかかわらず
生殖を前提としない修道士・修道女の存在を良しとしている人間世界の不思議さを挙げていたが
意識とか記憶力が発達することで、人間は単なる生物と違う選択肢を持つようになるようだ
この選択が結果的にどのように正しい選択かは時間をおいてしか理解されないだろう
三四郎のドジっぷり、薫の君のプラトニック的な傾向は、実は何らかの意味があってそれは後になってしかわからない?
(それとも単なる意気地なし?)