パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

市のお金の使い方について(高速バス絡みで)

2020年02月07日 09時20分01秒 | 市政、市議会に関することなど

人と話したり、何かを作り出したりを継続的に行うことが、ボケ防止には良いそうだ
本を読むだけでなくアウトプットを伴わないと
自ら考えることを止めてしまう癖や習慣に陥ってしまうらしい

ボケが心配な年齢だし、少しばかり本に依存体質となっているので
できるだけ読んだ本の内容を同居人にわかりやすく説明することにしている
人に説明することによって自分の理解が深まったり、頭を使うことにもなるので
ボケ防止になるだろうと思っている

この場所での投稿もその一環で、何のためにしているかと言えばボケ防止
の一面があるのも事実
でも少しは何かのためになるとありがたいとは思っているけれど

日課としているこの場も、横着したいとか、より広がりを期待したい時は
別のブログからのコピペを行うが、今朝は横着したい方の誘惑に負けて
新城市の新東名経由の高速バスについての話題を以下にコピペ

ここから↓

 先月読んだ「実践行動経済学」の本の中に
このようなエピソードが紹介されていた

ある人が友達からお金を貸してほしいと頼まれて
お金を貸すことになった
その晩、貸した人物の家に行くと「家賃」「水道光熱費」などと
とラベルの貼られた広口の瓶があり、そこにはお金が充分入っていた

それを見たお金を貸した人物は
「お金があるのに何故借りる必要があったのか?」
と聞いた
するとお金を借りた人物が見せたのは、中身が空の「食費」
とラベルが貼られた広口の瓶だった

経済学上の理屈ではお金は代替可能物であり
お金にラベルは貼られていないので
自分の裁量のなかから工面すれば良いことなのだが
どうやら人が持つ「心理会計」の仕組みは、この理屈に反する行動を起こしがち
というのが、この本の伝えたかったことだ

これを読んでいた時、前回の高速バスのことを連想してしまった
少しばかりニュアンスは違うかもしれないが
代替可能物としてもお金の使い方の問題だ

高速バスに関しては現場の人間として職員が赤字を減らすべく努力をすることや
お金の使い方の正当性を訴えることについては、職務上は当然であり
そうでなくてはならないと思う

しかし、代替交換物としてのお金は、
このお金が他のものに使われていたならば、、
と想像することもできるし、使い方の良し悪しの比較もできる

つまり、高速バスの問題は、その分野の問題(採算性とか効果とか)だけでなく
他の方面の視点(お金の使い方)での評価も必要ではないか、、ということ

どうやら市では前回の浅尾市議の一般質の指摘にあったように
急がなければならない点(新城小学校給食室のトイレなど)についても
実施が保留されていることが多い
広口瓶のお金が無いといってほったらかしにしたり、借金をするのは
適切なお金の使い方なのだろうか、、、(近い内に給食室のトイレは変更されるようだが)
と情報量の少ない小市民である自分は思ってしまう

ということで、高速バスについては、この予算を別に使ってみたら、、、
との視点も必要じゃないか、、ということ
もちろん、高速バスの他に対する影響も考えなくてはいけないが
その説明が庶民に納得できるものかどうかも考えなくてはならないと思う

高速バス「山の湊号」は安易に済まされる問題ではないと実感している

 

 

コメント
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