ウィーンフィルのコンサートマスターだったライナー・キュッヘルさんは
「音楽を理解することは難しいが、感じることはできる」
と述べている
その言葉を読書に置き換えて
「本を理解することは難しいが、感じることはできた」のが
フーコーの「処罰社会」
読書は音楽のように感覚的で味わっているだけでは意味がないかもしれないが
読み手としてのこちらの力量不足なので、ただ感じるしかできないのは仕方ない
この本は齋藤孝氏の講演の際に紹介された「監獄の誕生」を購入するつもりで
書店(精文館書店本店)入ったが、あいにく目的の本はなかったので
代わりにこの講義集を手に入れた
面白かった
講義集なので延々と続く長い論文ではなくて、その日の講義のポイントが冒頭に
ピックアップされていて、それに沿っての話なので、途中で頭が混乱するようになっても
とりあえず大枠を外すことなくページを進めることができた
でも、残念ながらこれを他人にアウトプットできるほどの読み方はできていない
読んでいる最中は、よくわからないが凄いことが書かれている
これが実感だった
この感覚はハンナ・アーレントの「全体主義の起源」を読んでいた時の感覚に似ている
よくわからないにもかかわらず、興味はどんどん深まって
後半の部分はまるでミステリーを読んでいるかのように先へ先へと
気が急いて仕方なかった
刑罰、処罰、監獄等のキーワードから、現在の規律社会、権力構造まで講義は続いていくが
社会の構造なり理解の仕方はこのような視点からもあるのかと
この人の仮説なり、考えていることをで感じることは
その内容のいかんを問わずスリリングだった(感じることができたのはそのこと)
ただ世界の理解の仕方として、少しばかり悲観的(?)な見方、把握の仕方かもしれない
とも感じた
世の中(社会)は試行錯誤で変化していく、その過程でフーコーは規律社会の少しばかり
負の部分を紹介しているが、そこで思い出したのが数年前読んだ「サピエンス全史」
「サピエンス全史」も試行錯誤で、人間だけでなく社会も変化していくとしている
だがこちらの方はもう少し楽観的な視点で、変化は進化に近いニュアンスで述べられている
ところで、何かを理解するのは同じような本を三冊読めばいいとされる
折角の機会、近くの書店に無かった「監獄の誕生」
ほしい物リストから昇格させようかな、、