NHKラジオの「まいにちドイツ語」応用編では、3人のウィーンの音楽家の
インタビューが題材として扱われている
ウィーンフィルのコンサートマスターだったライナー・キュッヘルさん
若手のオペラ歌手の方(名前が聞き取れなかった)、ピアニストの
パウル・バドゥラ・スコダさんがその3人だ
一週間遅れでネットで聞いているが、最初のキュッヘルさんはなかなか興味深い話があった
それはカラヤンとのエピソードで、怖い人のイメージがあったカラヤンだが
キュッヘルさんが親知らずの痛みをこらえてリハーサルに臨んできたのを見て
リハーサル終了後に彼を一人呼び出して
「何かあったのか?」(家族に不幸でもあったのか?)と心配気味に聞いてくれたことが
あったという(イメージと違う)
また、カラヤンといえば目を閉じて指揮するシーンが思い出されるが、晩年になって
ウィーンフィルを演奏するようになった頃は目をしっかり開けて
ブルックナーの8番を指揮している時は涙を浮かべていた
と当事者でしかわからない話が紹介された
カラヤンにそんな一面があったとは少し驚きがあり
この応用編のシリーズを聴き続けようという気になった
(関心はドイツ語よりも音楽に関することで)
インタビューは、この話の後でウィーンらしさとかコンサートマスターの資質・役割
作曲家と演奏家等の話題に広がっていったが、興味を持ったのはこの人の最後の
2回のインタビューの内容
ウィーンフィルと他のオーケストラとの違いを尋ねたところ、キュッヘルさんは
そのことではなく、現代は「演奏の比較」の時代になっていると答えていた
ベートーヴェンの時代はどのように演奏されるかよりも
できたての音楽のその内容や質、訴えるものが(つまりは曲自体が)興味の対象であったのが
現在では、演奏家がどの様に演奏するか、解釈するか、
つまりは演奏家間の比較が音楽の聴き方になってしまった!というのだ
これはまさに実感する
録音媒体の発達のおかげで、我々は一つの曲を多くの人の演奏で聴くことができるようになった
そうすることによって分かってきたのは
楽譜に残された音楽は演奏家によってかなり印象が異なるという事実
そしてそれは好きな曲、嫌いな曲が存在するように
演奏にも好きな演奏、嫌いな演奏というものが存在する
(何故好きか嫌いかを言語化できるとは限らないが、とにかくそういうことはある)
音楽(曲)を聞いているのか、演奏の違いを聴いているのか
そのどちらのほうが良いのかは難しい問題で
たくさんの演奏を聴いててしまっていると、どうしても記憶の中の演奏(の印象)が
ナマの演奏会の最中でも頭に浮かんでしまう
これは楽しみ方の一つでもあるし、時間をかけて身につけた技術でもあると思う
でも自分は基本的・個人的には曲が要求する内容・効果をしっかり伝えてくれる演奏
つまりは作曲家の意図が聴けると感じるような演奏が好きかな
だからこそ聴きにいきたい演奏会は「プログラム」次第で、つまりは曲が聴きたいということ
ただし、自分が田舎にいなくて、いつでもナマの演奏会が聴ける状態だったら
この選択基準は演奏家中心になっているかもしれない、、