パンセ(みたいなものを目指して)

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ヴォルフの「メーリケ歌曲集」(フィッシャー・ディースカウとバレンボイム)

2020年02月23日 18時33分59秒 | 音楽

先日シューマンの「詩人の恋」を聴いていたところ
そのピアノパートがとても魅力的だったので
そういえばヴォルフの歌曲のピアノも良かったぞ!
と思いだして、長いこと放ったらかしにしていたレコードを引っ張り出した
フィッシャー・ディースカウとバレンボイムの組み合わせの「メーリケ歌曲集」だ

ヴォルフの歌曲は感傷的な美味しいメロディがあるわけではない
詩の表現するところを的確に効果的に表現すべく作られている
このレコード、気張って引っ張り出したものの、最近は目がしょぼくなっているので
解説書の詩を読むのも面倒になって、結局のところ歌声とピアノだけを聴いた

詩を読まなくてもミツバチが飛んでいるようなところとか
嵐がやってきているような様子はわかる
でもそのような描写的な音楽よりはもう少し別の心理的なニュアンスを
表現しようとした音楽が多い
そしてその歌のピアノの雄弁なこと
伴奏という範囲を超えて声と一体となって一つの世界を作り上げている
その音色、その音の強弱、あるときは寄り添うように、あるときは競うように
ピアノの音は楽器の音というよりは自分の体の中の何かが鳴っているような気がする

ヴォルフの歌曲でフィッシャー・ディースカウとバレンボイムの組み合わせは
このレコードのあとゲーテ歌曲集、アイヒェンドルフ歌曲集と続くが
ゲーテ歌曲集でもやはりピアノが凄い
ピアノが凄いのはもともとピアノパートの作曲が優れているのか
それともバレンボイムの解釈とか演奏が凄いのかわからない
でも、詩はわからなくても声とピアノだけで充分楽しめる

レコード解説書には詩の日本語訳のほか作曲の日付が記されているが
そのおかげでヴォルフが毎日のように別の曲を作曲している事がわかる
と同時に、ヴォルフは連続して作曲している場合はある固定観念、
気分、音楽的なイメージに囚われているのではないか、、、と思うこともある
連続して作曲された歌はどこか似ているところがあると思えるし
それは人にはありがちな傾向のように思える

ということで、久々に聴いたこの二人の共演による3枚組のレコード
次に聴くのはまたずっとあとになるかもしれない
今回は、何かは理解出来ないとしても、感じる事はできた、、、というところ

コメント
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