パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

条例は誰が、どのようにつくるか(ある例から)

2020年06月14日 08時46分34秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

地方自治体の条例、これは一体誰がつくるのだろうと考えてみた
条例として認められるには議会の承認が必要だが
議会は議決だけなので、つくった当事者とは言えない
その議案(条例)の上提者が作った人と考えるのが自然かもしれない
議案の上程者、行政のトップである首長には新しい条例を作成した
という名誉の称号が与えられる可能性がある

しかし現実的には首長は「これこれの条例を作るように」
と指示するだけで、現実的には行政のスタッフがそれに沿って
具体的な作業を行うことになる
これは「奈良の大仏を誰がつくったのか?」の問を連想する
「聖武天皇」と答えると、「ブー、大工さんたち」とやり返すように
現実的な作業は、現場で行われる

少し前、ある条例を作るための一連の工程を経験した
それは、よくあるようにまずは現状分析から始まる
最初のステップをとして、行政からの依頼で市民の集まりが結成され
「作業部会」なる組織が作られた
その「作業部会は」市長の諮問機関である「市民自治会議」の
そのまた下請け的な位置づけで、そこでは一般市民の感じる
現状把握、共通認識、問題点などの意見交換がなされた

一般市民の集まりはどうしても話が四方八方に拡散しがちになる
それを防ぐために実質的な会議の進行者である行政はレジュメ作成し
それに沿って会議を行うようリードする
この方法は必然的に無駄な話はなくなる、、という良い面はあるのだが
「そもそもこの条例は作る必要があるのか?」
というスタート時点に立ち返った議論はなされない
市民自治会議から委託された議論は、「ありやなしや」ではなく
どのようにしたら良い条例ができるか、、に終始するように
会議はコントロールされる

ところで、この行政から依頼され市民というのが、出席一回に付き
いくらかの「報酬」が支払われる(これは条例で決まっている)
ただ「会議自体の方向性が予め決まってみえること」
「報酬をもらうことで自由な意見が言えなくなる」
ことに関して個人的には若干の不満を覚えたので、
報酬の支払いを辞退し、好き勝手なことを言わしてもらう、、
を条件に作業部会の出席を続けた

作業部会は行政の望んだようには進まなかったのかもしれない
この会の委員長がとても優秀な人で、拡散しそうな意見も適度に取り上げ
それぞれ好き勝手な発言を許し、それでいて本筋から外れないよう
コントロールされた会議が続いた
初対面で遠慮気味に構えていたメンバーもそのうちに和気あいあいと
自らの経験による考えを披露することになった
会議は本筋から離れないとはいうものの、行政の望んだように進まなかった
というのは、条例の前提となる「市民間のレベルアップを如何に進めていくのか」
との深刻な問題が、条例作成のための議論の時間よりも長くなったのだ

この「市民間のレベルアップ」については、作業部会は依頼主の市民自治会議に
提出した書類にさらなる検討事項として書き込まれた

しかし、、、、

舞台は今度は市民自治会議に移った
市民自治会議は作業部会の討論(議事録)を踏まえ、次の討論をすることになっているのだが
現実は作業部会で討論・問題視されたことを再び話し合うようなことになり
議論が進んだという実感はない(傍聴してる限りは)

時間が残り少なくなると、条例化の具体的な内容に入っていった
実際のところ、素人は条例文など作成できない
そんなことに慣れていないこともあるが、
一つの文章が他の法律・条例に矛盾していないかをチェックしなければならない
そんなことができるのは、法務に通じた行政しかない
結局のところ条例文は、法務の知恵を借りた担当部署の行政が作成することになった
その出来上がりの文章は、作業部会・市民自治会議の内容をどのように反映しているか
については、かなり不漫が残るもののように思えた
条例文にあまりにもあれこれ書き込むと却って矛盾点が多くなってしまうので
抽象的な一般論的な表現にとどまることになるらしいが
それならば、あの長い時間を費やした会議等はどのような意味があったのか
と考えてしまう

つまるところ、最終段階としての議決が、目前にある条例文だけを読んで
「是か非か」を判断するのが議員の役割だとしたら
その行為は何か違っているような気がしてならない
大体において条例文は、まずいことが書かれていることはなく
ケチのつけようがない可能性がある
だからこそ問われるのは、その条例の生まれる必然性とか存在価値となるのだが
それは初期の会議で話されたこと
その会議の情報を見ずして、目前のケチのつけようにないと思える条例文に
「是か非か」の判断をするのは、どうしてもステップを踏んだだけ
と思えて仕方ない

果たして今回の定例会で議会はどのような判断を下すのか
(条例の作成過程を見たものとしての備忘録としてアップした)




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報酬を受けること(自由に活動できなくならないか?)

2020年06月14日 08時46分34秒 | あれこれ考えること

普段だったら絶対できない我慢や忍耐、感情を抑えることなどが
仕事の場面ならできる、、という経験は誰しもが持つと思われる
この意味では仕事は人生の貴重な訓練の場とも言える
ところが、仕事で何故そんなに自分を抑えられるかを考えてみると
少しばかり危うい面も見られてくる

我慢ができるのは仕事の対価、お金が関わってくることが多い
例えば理不尽なお客からの罵倒も、客を怒らしたらマズイ
会社に迷惑をかける、ひいいては自分の評価・給料まで響いてくる
と瞬間的に考えることなどが想像できる

人はお金に弱い
特に自分に対しお金を支払ってくれる人に弱い
中国の韓非子は冷徹なまでのリアリストで
彼は従うのはそのお金をくれる人に対してであって、
その原資となる人々にではないとしている
現在の世界を当てはめると、官僚さんは自分たちの給与の原資である
国民の利益に従うのではなく、自分たちの直接の人事権をもつ立場の
人に従う、、ということになる

新城市には若者議会というシステムがある
ただ世間における評価と市内における評価とはかなり違ったものになっているようだ
何よりも若者議会という言葉は知っているが、何をしているか分かっていない人が
多いためにこうした評価になっていると思われる

この若者議会の評価について若者会議のメンバーは
当事者としてどのように感じているかが興味のあるところだが
ある会議録を見てみると、若者たちはいい意味で焦りを感じている
それは市内の人たちが感じている実体感の無さを
自分たちも手応えの無さで感じているようにみえるのだ

あまり知られていない、、なんとかして知ってもらわねば、、
まだ人を疑うことを知らないような若い高校生を主体とした若者議会のメンバーは
会議を行うごとに報酬を受けている
そしてそのことに対し、おそらく直感的に疑問を感じるようになった
もらって良いのだろうか、、もらうべき仕事を自分たちはしているのだろうか
おそらくこれは理屈ではなく、彼らの頭に浮かんだ感情で、それがどこから出てくるかは
わからないとしても、なんとなく違和感を感じるというものだろう

これは今期の若者会議の答申の一部において、
若者会議のメンバー自身が報酬を受けていることへの抵抗感がある
との発言に、市長はもらうことは引け目を感じることではない
との理屈を披露した
果たしてその理屈が若者にストンと理解できるものだったかどうかはわからない
だが、少し心配なのは「人はお金に弱い」という傾向を生み出すこと


人は知らず知らず韓非子の言うように
「自分に対しお金を支払う人にものを言いにくくなる」
最初、お金をもらうことに直感的に違和感を感じても、
そのうちに慣れっこになると当然となり、その支払う主体に対しては
よほどの変人でない限り、無条件に従うことになる

きっと、人は「お金を払ってくれる人には弱い」傾向は
どうしても拭い去ることはできないだろう
だがそれを意識するかしないかは大きな違いがある
無条件にそれに従うか、それとも多少の疑問を持つか、、

人は好きなことには自分の金を使って取り組む
遊びはその代表だが、どういうわけか真面目な分野ボランティアとかにも
自分の時間とお金を使って参加する人がいる
そしてその人たちはお金を使っているにもかかわらず充実感を覚えている
お金をもらうから活動するのではなく、お金を使って活動する
ハンナ・アーレントは「人間の条件」でこのあたりのことを言ってる
ような印象を持ったが、物事の純粋性は
「お金をもらうからではなく、お金を払って行動する」方にありそうな気がする

ということで、よくまとまらない話
これはもう一度頭を整理して考えよう

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