先日中日新聞の社説に、原発のある地区の住民投票のことが出ていた
原発はかなり意見が分かれそうな問題だけに
一度住民投票を行って民意を確かめてみたらどうかとの訴えがあり、
住民投票推進派は署名活動を行い、地方自治法に定められた一定数を確保したので
住民投票を行おうと、議会の承認を得ようとしたところ
議会はNOを決断を下して住民投票は行われなくなった経緯が紹介されていた
住民投票は普通は(地方自治法では)このように議会の承認(議決)が必要になる
議員はそもそも選ばれて市民みんなの代表者だから、彼らに任せておけば
いちいちみんなの声を聞く住民投票などという手続きは必要はない
との住民投票に否定的な声もあるが、とりあえず制度としては存在する
このように住民投票の制度はあっても実際には議会の議決で
できなくなることも多いので、地方自治法以外の独自の条例で住民投票が
できるように定めた自治体がある
その中の一つに新城市があって、新城市は議会の議決の手続きを取らなくても
住民投票ができる条例があり、市民自治が進んでいる証と喧伝された
ところが、この住民投票条例には規則という別紙がついている
そこでは、議会の議決は要らないが、住民投票をするに値するか否かを
市長の諮問機関である「市民自治会議」で検討を行う手続きになっていた
2015年5月31日、新城市は新庁舎建設の計画見直しについて住民投票を行った
投票率は64%で、この数字以上の熱気が市内に溢れた
ところが、この住民投票は自慢の住民投票条例に従ったものではない
(それは議員提出の議案として議決されたもので、いろんな経緯があったが
今回のテーマとは離れるので詳細は省く)
せっかく議会の議決を必要としない住民投票条例があるのだから、
それを使おうと推進者は手続きに従って行動を起こした
そこで問題となったのが「市民自治会議」での「住民投票を行う価値があるかないか」の検討
ここで問題なのは「市民自治会議」の判断はどうだったのかという点
時間が経過した現在での評価は、住民投票は行うだけの価値があったと思われる
(その後のゴタゴタは別として、現実的には5階建てから4階建ての庁舎に変更し
建設費も10億円ほど少なくて済んだ)
ところが市民自治会議の結論は、「行うべきか行わないほうがいいいか」が
はっきりしないものだった
ちなみに市民自治会議の検討は非公開で行われ、
検討内容は「市全体に関わることか」
「意見の相違が一部だけでなく、全体に広がっているか」
などの点だ
この検討内容は今から見れば、そのどちらともクリアしていて
「住民投票をすべし」との結論の方がまともだったと思われるが
当時は曖昧な結論しか出なかった
すると、市民自治会議はそもそも市全体の重要な問題に関して
検討するだけの資格があるのか、、との疑問につながる
制度としての「市民自治会議」は存在する
しかしその「市民自治会議」を行うのは市民だ
市民は主権者、納税者、生活者の顔を持っており、
特に主権者の意識が強いことなどない
普通の生活者としての市民が、その重要なことの決断を迫られて
その決断を行う、、という制度自体の現実性(実態性)はリアルなものだろうか
このときの自民自治会議のメンバーは、果たして議会の傍聴やら
住民投票を推進するメンバーによる説明会に参加したことがあっただろうか
現在ではそれを確かめるすべはないが、
少なくとも現在の市民自治会議のメンバーを議場で傍聴者として確認したことはない
(ケーブルテレビデ見てるかもしれないが)
おそらく当時のメンバーも今と同じように、
議会の実態に関心があったとは言えないのではないか
市民自治会議のメンバーは与えられた問題についてはきっと真面目に考えただろう
でも、それはその時、その場だけの感想の域を超えることができただろうか
制度がある、だがその制度が本当に機能しているか
これについては、常に誰かがチェックしなければならないと思う
でないとステップさえ抑えておけば「適切に」のお墨付けを
与えてしまうことになる
制度と実態
これは面倒だが、完璧とまではいかなくても程々に機能しているかどうかは、、
見続けないとまずいな、と思う昨今