パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フルトヴェングラーのトリスタン(ブランゲーネの警告のヴァイオリン部分)

2020年06月23日 08時42分08秒 | 音楽

非日常を感じることは気分転換になって良い
音楽や映画、絵画や芝居に心奪われて
その瞬間は頭を占めていた悩み事も忘れられる

聴くたびに非日常を感じる音楽がある
その非日常の特別な感覚を味わいたくて聴こうとするが
運悪くその非日常感を味わえなかったら
今度は感じられなかったことに失望する怖れもあるので
気楽に向かい合えないでいる

その音楽の筆頭はフルトヴェングラーの指揮する音楽だ
有名な「第九」の第三楽章の沈潜した瞑想的な音楽
マーラーの「さすらう若人の歌」の表情豊かなオーケストラの伴奏
「モルダウ」の冒頭のフルートの意味深げなやり取り
「ブルックナーの8番」の第三楽章の忘我の瞬間
「エロイカ」の全体的な統一感と若さと奏者の気合が感じられる音楽
その他きりがないが、最近気になったのが「トリスタンとイゾルデ」の音楽

聴き比べまでしたのが、第二幕の有名な愛の二重唱の部分
正確にはメインの箇所ではなくて、ブランゲーネの警告の部分
この音楽は昔バイロイトで観た(聴いた)時、初めて聴いたり観たりしたのだが
とても印象に残っており、数日後もう一度観る(聴く)ことになったときは
その部分が楽しみに思ったものだ

フルトヴェングラーの全曲盤のレコードは、ここでは歌にまとわりつくように
ヴァイオリンが奏され、その音楽は声(歌)以上に雄弁で、憧れ、恍惚感、
更に肉体的な快感まで感じさせる
この部分が聴きたくて、このレコードをかけることになるのだが
不思議なのはベーム・カラヤン・クライバー・バーンスタイン指揮の
レコードではここは拍子抜けするくらいあっさりしている
というより、音楽が美しく流れているだけでそれ以上でも以下でもない
という感覚(その美しい音楽の表現にいろいろ解釈はあるとしても)

こうして比べると、何が違うのだろう、、と思わざるを得ない
濃厚なロマンチシズム、感情移入の激しい音楽、音楽は楽譜に書かれた音楽の再現
というよりは、そこで起こっていることを今まさに観ているような感覚
この感覚はフルトヴェングラーでしか味わえない

ただこの感覚が一般化されるかどうかはかなり怪しいかもしれない
人の感じる素地は、その人の生きている時代背景が影響する
自分らの生きていた時代はギリギリでフルトヴェングラーの求めたものとの
接点があったかもしれない
でも今は、このような濃厚な音楽は歴史的意味としか捉えられないかもしれない
現代はもっと感覚的な心地良さとか技術的な完璧さを要求されるのかもしれない

つまりはフルトヴェングラーの魔術にハマって抜け出せないでいる
だけなのだが、とにかく、何かが違うと感じることだけは確かだ

トリスタンの音楽はその他にも二幕の最後、
トリスタンが刺されるシーンの音色がフルトヴェングラーのは
取り返しのつかない出来事のような悲痛(?)な音色だが
他の演奏は、そこまでのインスピレーションを喚起しない

フルトヴェングラーのこのレコードは何度も聴いたわけではないのに
もう深く記憶どころか、体験として残っている

フルトヴェングラーの音楽で感じること
これを知らないことは人生で損してるとまで思ったりするが
個人的な思い込みなんだろうか

コメント
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