パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

田舎の小市民が嘆いても、どうしようもないが、、、

2021年08月08日 09時44分31秒 | あれこれ考えること

何故、読む人も大していないこの偏屈な投稿を続けているか?
を考えてみると、一つにはボケ防止、そしてもう一つは記録のためだ
それは単なる個人の記憶に留まらず、いつか役に立つかもしれないと妄想するからだ

田舎の小市民が限られた情報の中で生きて、それに対しどう感じたか
それを残すことは「戦場のピアニストを救ったドイツ国防軍将校」の記録と同じで
公式な記録として残されるものよりはリアルな思いの発露として意味があるように思える

万葉集の「貧窮問答歌」や「二条河原の落書き」などは、公には出てこない生活の実態を
表すものとしてとても興味深い
公文書を残すことは意思決定の過程を知ることだけでなく、後の批評をするためでもある
一方洗練されていない生々しい感情に溢れた庶民の記録は、都合の良い歴史だけではなく、
負の部分も存在することを明らかにして、そこに意味がある

とりあえず気なるのは、人の気持に大きな影響を与えるメディアだ
オリンピック中に新型コロナ感染症の陽性者が爆発的に増えたが
テレビ報道はまるでオリンピック一色だ
テレビというものは、そもそもそういうものだと昔から危険視されていた
災害で苦しんでいるニュースを流した直ぐあとで、芸能人の不倫のニュースやスキャンダル
グルメスポットの紹介などが、先程のニュースはまるでなかったかのように放送される
そのアンバランスな押し寄せる情報の波の中で、人はちゃんとした価値判断を、できるようになるのか
少しばかり不安だが、とりあえず社会はそうなっている
まずは、このオリンピック一色の報道体制の存在が良いものかどうかという点

次にコロナ感染症の政府の対応についての報道の仕方
いやコロナについてのことだけではない
現在の報道には疑問を覚えることが多すぎる
広島の平和の祭典で菅さんは、肝心なところを飛ばして話した
前後関係から不自然な話の展開なので、多くの人は違和感をもった
そこで追求してみると、用意しておいた書類の1ページを飛ばしたことがわかった
その部分は核心とも言える場所で、抜け落ちることは許されない内容だった
読んでいるだけなのか、、下読みはしないのか、前後関係から話の展開が変だと思わないのか
菅さんへの批判が広がった
だがそこで驚いたのは、「政府側の説明によれば準備しておいた蛇腹になった紙は
糊付けされており、その部分が剥がれないために起きてしまったアクシデント」
と報道されたことだ
糊付けする行為自体がいまどきするか?という素朴な疑問と
このような報道はどのような意味を持つのかを考えると(それは明らかに菅さんを弁護している)
報道されたものをそのまま信じることは、おそろしく危険だと感じる
(記者はどのような意図をもって報じたのか)

前々から思っていること、世の中は想像以上に危なっかしい領域にいるのではないか、、
この実感が、重くのしかかってくる

オリンピックの総括、、それを日本人はきちんとできるのか、とても不安な気持ち
そういえば、長野オリンピックの重要な肝心な書類は、確認しようとしたときには、すでに償却されていたらしい
日本が先の大戦で敗戦を受け入れるそのとき、軍部は重要な書類をやはり焼却したらしい
都合の悪いものはなくす、、今回の膨大な費用に膨れあがったオリンピックの重要な種類は
きちんと残されるのか、、とても不安


コメント
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