小学校が夏休みの今は、外国をルーツに持つ子どもたちの公式の勉強の手伝いも一休み
ただし、例外的に自宅に行ったりzoomで個人的に面倒を見ている子もいる
こうしたボランティアの終わったあとは敗北感を感じたり、気分的に落ち込むことが少なくない
それは彼らと向かい合っている時間、一向に手応えを感じられないことがあるからで
表情を見ればその日のテーマとなる部分(国語も算数も)の理解が進んでいないことはわかる
理解が進まない理由は、日本語の能力に問題がある場合もあるが
それだけではなく現実的には個人の理解の能力差が大きい
直ぐに想像力が働いて、言わんとすることが分かる子がいれば(ブラジルにいる男の子はそういう子)
自ら想像力を働かす癖のない子もいる
後者は直ぐにわからない、、といい、わからないから勉強の時間は面白くない
面白くないから集中力は散漫なる
この個人差はどこから生まれるかが大きな問題だが、親から受け継いだ遺伝的なもの
それ以外に彼らの暮らしている環境に左右されているのは想像がつく
遺伝的なもののような、もともともっている力については正直自分の力ではどうしようもない
運動で早く走れる子がいれば、走れない子がいるようなもので
まずは少しでも早く走ることができるようにするしかない
これは、現実的な対処方法で、それしかない、、というところだ
彼らを取り巻く環境にもだいぶ差がある
学校では日本語を話しているが、家に帰るとそこでは親の使う言語を話す
言葉を覚えるのは言葉に接する絶対量が多いことが肝心だが
残念ながらそれが現実には果たされていない
(テレビを見るようにとアドバイスしてもテレビがなかったりする)
このように分析したところで、目の前にある現実は子どもたちが
今のうちに覚えておかないと将来大変なことになることが身についていないことで
そこで感じるのは彼らが「置いてけぼりにされてしまう」というと焦りと恐怖心だ
個人差がある、家庭環境にも差がある
現場では、それらの分析でわかった気で終わっていられないのだ
彼らをどうするか、、どのようにしたら、最低限の能力をもたせることができるか
それは、まるで戦いのようだ
残念ながら能力のない子がいたとしても、そういう子を見捨てることはできない
先生も匙を投げそうな子でも、、そのまま放ったらかしにされたら
待っているのは悲惨な未来しかないと想像できるから、
なんとしてでもそれは避けたいと焦りを思う
こうした焦りは肝心な子どもたちには伝わらない
多分、親御さんにも伝わっていないだろう
でもそんなことはどうでも良い
自分は今できることを、精一杯するしかないと自ら奮い立たせて行動するしかない
できることなら、この気持ちがずっと続くようでありたい
最近、面倒を見てる子から最後に「ありがとうございました」という言葉が出ているから
わかって無いようでわかっているかもしれないが