オリンピックが済んで、また元に戻った感じがするのがこの偏屈な投稿へのアクセス
期間中は何か悪いことでもしたのか、、と思うくらい見に来る人がいなかった
普段でも日曜日とか連休も少ないので、やはり何か大きな関心事がある場合は
わざわざ面倒なことはしないのだろう
オリンピック期間中に新城市議会の有志による議会報告会が行われた
そこで大きな問題になったのが、小中学校の共同給食センターの建設延期の問題
これは情けない話で、行政のチョンボだ
建設予定地は市の所有地と思いこんでいて計画を進めたら、その一部に県の所有地が
含まれていて、実施計画が一分無駄になり、計画も遅れることになった事件だ
この経緯に関しては行政の市議会に対する説明も、どこか隠し事をしているようなところもあり
行政の謝罪も説明もすんなり納得とはいかないようで、初めてその話を聞くことになる人にも
わかるように(?)説明された
自分は事情を知っているので聞き流していたが、別のことが気になった
それは自分たちの学校の給食室でつくる自校式の給食ではなくて
セントラルキッチンのような何校の分をまとめてつくる共同調理方式の
どちらが良いのか、、ということが、今になって議員から声が出たことだ
議員は、そのどちらが良いのか、、という選択に少しも関与していなかったのか?
不思議に思ったのはそのことで、自分は議員がそのどちらかの選択に関与していると思っていた
しかし、今までの自校式から共同調理方式に変える選択をするのには、議員は何ら関与していなかった
今まで「自校式が良い」と繰り返していた教育委員会も、食材の確保の難しさ、給食をつくる人材の確保の難しさ
古くなった教職室の改築、、などの理由で急に共同調理方式にシフト変更した
それは学校関係者、校長先生とか教育委員会とかが何回か会議をして、最終的には市長の参加する
教育総合会議で方針が決められた
そして市長により基本計画の設計費用とか実施計画設計費用が予算提案され
議会の承認を得る段取りとなって、そこで初めて議会は共同方式なることが知ることになった
つまり自校式と共同調理場の選択は、段取りとしては当事者である人たちの間で決められ、
議員は手続上は部外者だったのだ(それはそれで現実的な気もするが)
こうなると、議員の中の自校式のほうが良いと考える人は、この共同調理場の計画に反対の声をあげるには
「予算の反対」という形でしか、その意志を示すことはできない
これは方針の反対ではなく予算案への反対という形でしかなく、
実際のところ予算案はこの件だけでなく、他のいろんな予算案もまとめて議決の承認を得る形
となっているので(まとめ法案)これだけを理由に予算案を反対することは極めて難しい
だが、重要な案件と思われることを議会は予算の承認という形だけで良いのか?
は少し問題で、これを細かく検討するには、予算案をまとめて審議するのではなく
この給食の件だけ別個に議決するようにする、、という方法があったらしい
(それはなされなかったが)
また他の方法としては、給食の方式の選択については議会の承認が必要とする条例を作って
議会の声を反映させる方法があるそうだ
(これも今になってはの話だが)
今更ながら感じるのは、議会は単なる承認機関という事実だ
仮に議員みんなが真面目に予算案等を読み込んで、その時点での判断をしてもらえれば良いのだが
現実には議員間格差が酷くて、提出された予算案は多数決(情報不足の議員の?)によりほとんど承認される
今回の給食センターの延期で、実質数千万円の実害が出ている
しかし市民の大半は知らない(関心もない)
生活に忙しい市民は、市職員も議員もちゃんとその職責を果たしていると思いこんでいる
ところが、そうではないという現実は、時々現れる(多分どの自治体でも)
本当は、当事者である市民がもう少し自分たちのお金の使い方に関心を持てば、少しは良くなるのかな
と思いつつも、これは難しいだろうな、、とも実感する
ところで、今回の行政のチョンボは、納税者である市民に対して謝罪すべきだと考えた(自分的には)
だが、行政はそれを何らかの形で行うか、、、
広報誌で謝罪の言葉が見られるか、、それとも、大半の人が知らないことを良いことにダンマリか
行政の無謬性、、それは現実にはありえないのだから、トチったときには素直に謝れば良いのに
と思うのだが、これがなかなかできないようだ(国も市も)