パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自分の間違いは認めにくいようだ

2024年11月24日 09時50分10秒 | あれこれ考えること

人は間違っていると指摘されると容易にそれを認めることはできないようだ
数日前に「狭山カフェ」という集まりで、狭山事件の限りなく冤罪に近い話を聞き
袴田事件や三鷹事件を思い出すと、検察はなぜあんなに頑なまでに自分たちの間違いを
認めようとしないのか?と不思議に思った

組織として判断したことを今になって間違っていたとするのは
組織の存在意味とか継続性から想像以上に難しいのかもしれないが
そこに人として自分たちを否定されたときの感情(例えば屈辱感)が大きく
働いているのではないかと想像した

話は変わって、兵庫県民の斎藤さんへの思い(マスコミは嘘ばっかり等)は
「知事として選んだのは間違いだった」
とするような空気に対する反感だったのではないだろうか
そこにはパワハラやおねだりがあったとかなかったではなく
プライドとか自身を否定されたような怒りがあったのではないかと想像してしまった
(ところで兵庫県民は自然発生的に斎藤さんを応援するようになっていて
  例の選挙プランナーの力などは大したことはなかったとしている)

この自己否定されたときの過剰な反応は、X(旧ツイッター)とかで戦われる論争に見られる
そこでは冷静な討論ではなくて、全否定、人格否定につながるものが多い
それらを見ると、精神衛生上好ましくないので見ないことが良いと思われる

ところでマスコミは嘘ばっかりという意見
それは本当かどうかはわからないが、マスコミを鬱陶しく思うことはある
いい話だとしても、連日の大谷は素晴らしいとする報道は少しばかり異常な気がする
野球にさほど興味がないので、直ぐにチャンネルを変えてしまうが
このような過度の放送で、自分たちの選択が間違っていた
と暗に指摘されるようなことがあれば、その人達は反感を覚えるに違いない
しかも、それを言う人が県外の人だとしたら尚更のこと

今回の件ではSNSの伝わり方とかツールとしての機能ではなく
大衆の受け取り方がとても気になった
そこには善意に解釈すれば、義憤も含まれているかもしれないとも思う
でも何か違和感は残る

世の中はいろんな人がいる
なにかのチャンスを狙って良からぬことを考え、実践する人がいる
(その結果、人々はプロパガンダの餌食になってしまう)
その人自身は承認欲求の現れとも想像できる
そして個人の判断を的確にできない人たちはハンナ・アーレントなら
「アトム化されている」というかもしれない

ただ今回の兵庫県の出来事、選挙後話題になっている点を含め
周辺に奇妙なことが多すぎるのは事実だ
と言っても、県外の人間はこれ以上口を挟むのは良くないかもしれない

県外の人間が他県の選挙運動に関心を持つということはある
その選挙区には県外の人がやってきて、勝手に応援するということが行われていた
そこでは「勝手に応援団」とか「勝手にインスタ投稿」とかの応援が自発的に行われ
「選挙はお祭り」のノリでワイワイ騒がしい
自分の知っている方は東京から香川県に出かけ、選挙運動を手伝っていた
その場所は「香川1区」で「なぜ君は総理大臣になれないのか」
のドキュメンタリー映画の対象となった小川淳也氏の選挙区だ

その中継動画をみると本当に楽しそうで、温かい雰囲気に溢れている
ところでドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」
を作るきっかけというのが興味深い
映画監督は大島新氏(大島渚さんの息子さん)で、ある時大島さん奥さんが
「同級生が国政選挙に立候補する」と伝えたところ、
いつかなにかの役に立つかもしれないと、数年間カメラを回し続けていた

ところが大島さんは次第に
「こんなに真面目に取り組んでいる人がなぜ報われないのだろう」
と思うようになって、もしかしたら現在の選挙制度に問題があるかもしれない
と考え、撮りだめしていた映像をまとめて作品にしたのだった

今は立憲民主党の幹事長になっているが、この人はクソ真面目な人だ
いい意味で人を疑うことをしない
それが甘いと親父さんからも指摘されることもある
でも彼の人間性が勝手に応援と言う事態を生み出していると思う
そしてその雰囲気は兵庫県のそれとはだいぶ違う

ということで、自然発生的とされるものでも
空気感はだいぶ違う印象を持つということ


※日曜日らしくない面倒くさい話 
 でも吐き出したい気分だった



コメント
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