パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

フルトヴェングラーの名盤

2007年12月06日 21時14分01秒 | Weblog
冬の季語になりつつある(?)第9。
勿論ベートヴェンのそれだが、長い間この曲のベストディスクとして
君臨しているのがフルトヴェングラーが1951年に
バイロイト祝祭管&合唱団を指揮したもの

今日も昼のNHKFMで流れていた
久しぶりに耳にしたこの演奏、確かに普通の演奏とは違って
なにかとてつもなく大きなものが詰まっている
単なる音楽を越えた体験をする様な演奏だ
これは調子の良い時に聞いた経験がベースになっているが
第1楽章の途中から気分が乗ってきた様子が感じられ
ずっしりと格調高いものから、始まったらもう千変万化する
生命の様なものになり
第2楽章では楽器が出たり入ったりで立体的になり
第3楽章のトランペットのファンファーレの後の寂寥感は
他の演奏ではとても聞く事のできないものだし
最終楽章もあのどこまでも続くかと思われる合唱のフェルマータ
そしてその後のピアニシモから始まる音楽の圧倒的な効果
コーダは演奏自体が合っていようがいまいが関係なしのような
そしてそれが当たり前に許せる様な熱狂で終わる
といった本当に人間のたどり着く事のできる一つの頂点のような演奏だ

ところでフルトヴェングラーといえばこの曲が一番有名かもしれないが
案外見落とせない名盤が、マーラーの「さすらう若人の歌」
フィッシャー・ディスカウ  ニューフィルハーモニア管弦楽団のもの
レコードでは「冬の旅」の4面におまけのようについていた奴だ

ホントこれにはノックアウトされた
「冬の旅」そっちのけでこちらばかり聞いていた
深い呼吸からくりだされる、ゆったりとした伴奏は
心の状態を説明するというより、当事者の心境そのものを
現しているようで、この曲の20分間は別世界にいる様な感じがしたのだった

確かにフルトヴェングラーの演奏にはそんな瞬間が多々ある
1944年のあの「エロイカ」も、ある夏の朝不意にベットで
ヘッドフォンで聞き始めたら、いきなりの気合い満点の和音の開始で
「こんな調子で最後まで保つのか?」が気になったが、
とうとう一気に聞き通してしまった

ベートーヴェンの7番も3.4楽章の熱狂は「凄い!」といつも聞き終わった後
知らず知らずに口に出た

ブラームスの4番も第1楽章の終わり近く
急にテンポアップしてオーケストラがついていけるのかしらん
と思わせるところなどは、はらはらして
実演であったならさぞかし迫力があったろう

こうしてみるとまだまだ後から後から出てくる
シューマンもシューベルトもブルックナーもワーグナーも
そしてバッハも!

フルトヴェングラーの名盤
それは気分次第で
いろいろ変るから結局一つにしぼる事はできない
(しぼる必要もないが)

ただ、部分的に今も記憶に残る演奏は
エロイカ、1944 ウィーンフィル  1952 ウィーンフィル EMI
1952 ベルリンフィル
5番    1937 ベルリンフィル
7番   ウィーンフィル
9番   バイロイト祝祭管 ルツェルンでのフィルハーモニア管のもの

ブラームスはグラモフォンから出ていたベルリンフィルとの1番と
途中からノイズが入った4番

シューマンの4番とシューベルトの9番のベルリンフィルのもの

ワーグナーは全曲録音がなった「トリスタンとイゾルデ」
ブルックナーは、4番.7番、8番 ベルリンフィル

バッハは「マタイ受難曲」

こうしてあげていくと、持っている全てのディスクを選んでしまいそうだ
個々のこの印象については、また機会を見つけて記録に残す事にしよう

最後になんかのビデオでフルトヴェングラーの練習風景を見た事があったが
(確かブラームスの4番とシューベルトの未完成だったように記憶しているが)
その集中の度合いは尋常なものではなかった
これでは肉体は持たないとまで思ったものだが
最近はこのような芸術至上主義というのは流行らないというか
そんな風に思う事すら無くなっているようだ
世の中、本当に豊かになっているのだろうか?


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