パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

見て見ぬ振り

2021年04月10日 08時43分30秒 | Weblog

アメリカで起きたアジア系の人に対する暴力行為を、見て見ぬ振りをしていたドアボーイが
解雇されたとのニュースがあった
一企業がどのような理由をつけて解雇したのかわからないが
それを企業の姿勢として行わなければならなかったところが少しばかり残念だ

誰かが理不尽な暴力を受けている
それが目に入ったならば無条件に止めに入る
それが人として当たり前の行為と思えるのだが、個人の判断ではそれができなかった
ドアボーイたちは自分には関係のないことだと見過ごした
それは無関心と言うだけでなく結果的にはその行為(暴力行為)を支持したことになる

このようなニュースを見聞きして、ひどい人たちがいるものだくらいにしか
感じないかもしれない
だがよく考えると、見て見ぬ振りをするのは至るところで見られる

驚いたのは、会食時にマスクを外したり付けたりするのは現実的に難しいので
それを補うために団扇を使うことが提案され、それが予算化されたというニュースだ
最初、冗談かと思った
このとんでもない案は一気にSNS上では批判の対象になった
そしてそれは批判されて当然だと自分は思った
直感的に現実的でないと誰もが思うようなこと、それが現実化されようとしていることは
その案に関与していた人たちは問題ないと感じていたということだ
いや、薄々は非現実的だと思ったとしても声に出さなかったということだ
声を出さないことは結果的にその案の推進を果たすことになったので支持したことになる

道徳的、倫理的などと大げさなことを言わなくても、困った人がいたら助けたいとか
普通に考えれば誰が言おうと現実的でない考えに反対するということが
現在はとても難しくなっているのだろうか

どう考えても無理筋という話は至るところにある
自治体の計画にも呆れるほどそれは見られる
我が市では道の駅「もっくる新城」にドッグランが新しく開設された
この計画を聞いた時の一番の違和感はその面積だ
いったい100平米でどんなものができるのか
できたとしてもそれは犬たちにとって(飼い主にとって)魅力的なものか
この計画は1600万円ほどの予算で行われた

腹を立てながら出来上がった現場を見に行くと、その面積の実感は悲惨なくらい狭い
そしてこれにそれほどまでの金額がかかるのだろうか?
と疑いを持つくらいだった

こうした計画は出来上がってみたいと現実の大きさを実感できない場合が多い
図面とか数字だけで話をするだけでは全体の姿をイメージしにくい
だから数字だけが独り歩きして市議会も予算を可決し、事業は進められていく

出来上がってからでないと実感はわからないかもしれないが、予想することはできる
計画を知った時の最初感じたのは上にあげたように面積の少なさだった
自分がこのように感じたということは、関与したスタッフの中にも同じように
感じたひともいるということだ
そこで問題は、そう感じた人たちは何をしたか?という点だ

公務員は上司の業務上の命令に従わなければならない!と決まりでなっている
だがそれは自分が直感的に感じた違和感を押し殺してまでしなければならないことなのか
公務員は公僕として最小の費用で最大の効果をあげるべく行動するように別の法には書かれている
それを考えると、まるっきり反対ができないというのではなさそうな気がするが
(公務員の経験がないのでこれが現実的かどうかはわからないが)
そうしたことを考えるもの面倒でただただ流れに身を任せるだけなのだろうか

そしてそれは一歩間違うとドアボーイの見て見ぬ振りを続ける姿勢につながる
とは言うものの、ひとは全方位に同情や共感をもって接することはできない
自分でもある悲惨な状態には、無関心ではないとしても何ら行動を起こせないでいるのも事実だ

なにやら小難しい話になってしまったが、ドアボーイの一人でも助けに行ってほしかったように
団扇の案にも反対する人がいてほしかったし、職員の中にも小さすぎるドッグランの計画に
反対する人はいてほしかったということ

 

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