期待した結果が出なかったのは仕方ないとしても
(不満のほうが多いので先に行くことにしたが)
今回の件で反省すべきだったのは、この案件(養鶏場の裁判)を
ほとんどの市民が知らないという事実だった
この裁判は三年ほど前に新聞記事に載ったが
見ていない人も多いし、見たとしても忘れている人が大半だ
次の裁判で答えが出る前に、今更だが
原告たちは何故このような(過激な)行動に出たのか?
を多くの人に説明することは、その時起きていた奇妙な出来事の認識とか
今も市で起きつつあるかもしれない似たような危なかっかしい状況への
警鐘になると考えられるから、自分はなるべく多くの人にこの案件を伝えている
細かく話すと時間がかかる面倒くさい話だが
これを聞いた人たちはだいたい同じような印象を持つ
それはこちらがそう感じるように話している面もあるが
そうでなくても「何かおかしい!」と湧き上がってくるようだ
この話を聞いてくれた人のなかには、裁判に訴えたことに
感謝してくれている人も何人かいる
その人たちは、原告が「何かおかしいとか変だ」と思うのは無理からぬことで
そこで終わらずに行動してくれていることは
市が事業を進めるにおいて、チェックしている市民がいるということで
市や市議会に緊張感を与えるきっかけになると評価している
何も知らないところで粛々と進められていると思っていたことが
調べてみると、かなり怪しいと思われても仕方ないように進められている
それは問題意識をもって調べたからこそわかったことで
調べなければわからずに済んでいたことだった
そうしたことに取り組んでいてくれる人たちがいることは
ありがたいと話す
行動を起こす人は、現実としてお金(弁護士費用)と時間と
多少の精神的ストレスが伴う
そしてそれらの結果が好ましい形で出たとしても
自分たちの(経済的に)得になることは何もない
だからこそ、感謝していてくれるのだ
本当に実感するのは、物事はできる人が、できることから行う
という当たり前の事実だ
大きな理想を掲げた壮大なことではなく、これなら自分もできる
こういったところから一人ひとりがやっていけば何かは少しずつ変わる
(と思いたい)
今回の件で、普通なら知らなくて済んだかもしれない現実の厳しさとか
裁判制度への不満は、個人の心に刻まれれることになった
そしてそれは、世の中はなかなか思い通りにならないものだということに繋がる
だが、それでも、、、ここからは多分個性なんだろうと思うが
できることをする!としつこく思い続けることは、
自分が自分を褒めるためには必要だと感じている
ということで、自分を鼓舞する日々が続く
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