今年の秋には我が市でも市長選、市議会議員選がある
全国に目を向ければ直近には参議院の補欠選挙が長野、広島で行われる
選挙といえば、「地盤・看板・鞄」が重要な要素とされている
そのうちの後援組織の「地盤」について疑問に思っていたことがある
ある組織がある候補者から依頼を受けて、あるいは組織が主となってある人物を
投票すべき人物として決めたとする
組織の中心人物は組織の決めた方針に従うのはわかるが
末端の人は組織の一員(例えばその人物を応援する企業の一社員)というだけで
それに従ってしまうのだろうか
無記名で投票をするから組織の意向を裏切ったところでわからない
そのように考えて自分独自の価値観に基づいて判断をするということは無いのだろうか
実際には組織の意向に反する行動をする人たちは一定数はいるようだ
投票後の調査でもそれは明らかにされる
だが大半はそのような行動はとらない
そこで何故、組織の要望に素直に従ってしまうのだろうと考えてみる
直接的に利がある場合は当然応援するのは当たり前だが、あまり自分の生活に関係ない人は
何故、その人物を応援してしまうのだろう
自分で判断しない場合は「あの人が薦めるから」の場合が少なくないと思われる
あの人とは身近な人だったり、信用できる人という類だ
「誰でもいいならとりあえず信用できる人の言うことを信じて投票してみよう」
このような消去法的な選択は多くないだろうか
つまりはマニフェストを読み込んだ上での選択や判断ではなくて、自己判断を保留して
誰かの判断に相乗りするというわけだ
ちょいと思考実験をしてみた
組織からは誰々に投票するように言われているがとりあえず自分を正当化するために
マニフェストに基づく選択をしようする人物を想定する
マニフェストを読み込むわけだが、内容を読み込むことはなかなか難しいので
「あなたの合う人は誰々」といったマッチングのお遊びをしてみる
スタートの問でイエスかノーかを選び次に進み、
今度は選んだ先の問にまたイエスかノーで答えてどんどん進んでいく
そうすると「あなたの考えに近い人は〇〇です」と出てくるようにする
問題はその結果が組織の応援すべき人物と違った場合、
彼は(人は)どのような判断を下すのだろうか
彼は(人は)自分の価値観に基づいて行動するのだろうか
それとも自分の判断が間違っているかもしれないと考え、この実験の選択を捨て去るのだろうか
人は独自の判断を下すことを恐れる傾向があるようだ
ソロモン・アッシュの同調実験という有名な実験があって
その実験ではまず一本の直線が提示され
次にこの直線と等しい長さの直線は次に上げる三本のうちどれか?と問われる
そんなに難しい区別ではないので大半の人はすぐに正解を選ぶ
本当の実験はここからで、外からの声として「正しいのは〇〇」(実験者の答えとは違う)
と発言する人が多いと実験者に伝える
そうすると実験者は先程の意見を変えるかどうか?
というのを調べるという実験だ
自分では正しいと思う選択をしたのに、多くの人はそう思っていないらしい
その事実を知った人物はどのように考え行動するか
この実験の結果は、ある一定数数の確率で自らの考えを変えてしまうらしい
つまり間違っているのは自分だと感じてしまうのだ(薄々は自分が正しいと思っていても)
どうやらみんなと一緒という誘惑は馬鹿にできないらしい
だが、問題なのはみんなの選択と一緒という安心感は、その選択が適切かどうか?
とは違うということだ
人は自分の責任において選択・判断をするというのは思いのほか難しいのかもしれない
こうした人の群れたがる傾向を知ってしまうと、当たり前のように報道される選挙前の
勝ち負け予想等は、本質的な判断を下す妨げになっているような気がする
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