何事も出だしが肝心だ
音楽ならベートーヴェンの「運命」はあの有名な出だしから始まる
ビートルズの音楽も出だしに気を使っていて「ヘルプ」
「ア・ハード・デイズ・ナイト」「シー・ラブズ・ユー」
「ヘイ・ジュード」その他にも、すぐさま思いつくものが色々ある
(小説やエッセイなどの)文章はどうなんだろう!と振り返ってみると
「枕草子」や「徒然草」「奥の細道」も印象的な始まりだ
書店では立ち読みは、まずは最初の文章を読む
それが自分のリズムとか感性とか気分にあっているかどうかが
購入するか否かの判断となる
(ベストセラーかどうかはあまり気にしない)
最初の文で読もうと決めたのは北杜夫の「幽霊」
ヘッセの「郷愁」もそうだ
(この2つ似た雰囲気があると思うのは自分だけなんだろうか)
有名な川端康成の「雪国」や「伊豆の踊り子」の冒頭は
自分には合わなかった
ヘッセと同時代の小説家のトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」も
波長が合わなかった
翻訳されたものにも関わらず気に入った詩人は「ウンベルト・サバ」
トリエステ出身の詩人だ
実は隣町の田舎にトリエステ出身の女性が夫婦で雑貨屋を営んでいて
一度「トリエステの風景はサバの詩の様か?」と聞いたことがあった
それにしても音楽も文章も、たった数秒の世界で波長が合うとか
合わないとか判断できるというのは不思議なことだ
この判断というのは、何が基準になっているのだろう
割合多くの人が冒頭の瞬間で同じような思い(印象)を持つとか
イメージを喚起させられるのは
その冒頭の瞬間のもっている力の強さなのだろうが
それに反応するのは、進化論のような確率的な偶然によるものではなさそう
(と勝手に思っりする)
ということで、ボケ防止のためのここの投稿も
実は出だしに少し気を使っているということ
(でも合わない人は合わないだろうし、それは仕方ない)
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